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項目 内容
ID J00006022
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1586/01/18
和暦 天正十三年十一月二十九日
綱文 天正十三年十一月二十九日(西暦 1586,1,18)
書名 〔岷江記〕
本文
保木脇の城滅亡并帰雲山の事
世移り人替りて牧戸の城地を改易して保木脇といへる所にぞ移り給ひける、此時の城主をば内島兵庫守氏(うじ)理(はる)とぞ申ける、将監為氏の孫上野、介雅氏の子なり、、天正八年の比(、黒谷浄念寺伝には天、正十五年丁亥と云、)とかや、或日の(、或説に十一月、廿九日と云、、)夕ぐれに、常ならず空あれ風はげ敷雨きびしくふりてすさまじかりけりと思ふほどに、雷電ひらめきわたり夥布なりうごき、天地もくつがへすかときもをひやし、こはそもいかなる事なるぞ、昔よりかゝるためしは聞も及ばぬ事なるぞ、あなおそろしとてふるひわななく人もあり、気をうしなひ悶絶する人もあり、刀の柄に手をかけて只今ぬかん気色にて空にらまへる人もありけり、すはやひらめくぞくずるゝかといふほどに、城より山一つへだてゝうしろなる帰雲といへる山半われて飛来り、保木脇の城に打かけゝれば、忽に地中の底に埋れて今までありし城廓は只土山とぞ成にける、稀代なりける事なりけり、かゝりければ内島の一流に残る者こそなかりけれ、その中に内島新右衛門といへるは兵庫頭の甥にてありけるが、折節用の事ありて郡上八幡といへる所へ行けるあとの事にてぞありし、(、或は長滝寺、に行よし、、)新右衛門此事を夢にも知らず、所用の事をはりて急ぎ保木脇に帰り城のありし所を見れば、只大山ばかりうづたかく大河は漫々とたゝへてよりつくべうも見えざれば、只茫然とあきれ果てゝぞ居たりける、
出典 [古代・中世] 地震・噴火史料データベース
ページ
備考 [古代・中世] 地震・噴火史料データベースでは史料等級で分類しています。本データベースでは史料等級の低いものも表示しており、信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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