○天正十三年十一月廿九日。夜地大に震ふ。畿内・東山・北陸最も甚し。地裂け水湧き、廬舎の砕陥、人畜の死傷、勝げて計ふ可からず。、東寺執、行日記、日本西教史に、当時在留の基督教宣教師の目撃耳聞せる所に係る、堺・京都・大垣・長浜及敦賀等の惨状を列記しあるが、其中長浜に関する者左の如し。、上巻一〇、三四頁、曰く
千戸ノ人家アルナガハマ邑ニ於テハ、其人家ノ半ヲ顛覆シ、半ハ出火ノ為メニ焼滅シケリと。
長浜城中の天守破壊し、寝殿倒潰し、城主山内一豊の幼女興祢君といへるもの、其乳母と共に圧死せりといふ。、山内、系図、