古跡と古戦場 保木脇の帰雲山には、寛正年間、内ケ島将監の築いた城があつた、其の後天正十三年十一月の大地震の時、帰雲山崩落の為め城跡も埋没したのである。荻町には山下大和守勝氏が住ってゐた城跡がある、
天変地震土地の変災と云へば、安政四年の大地震(明治四十二年より五十三年前)である、間瀬老人(本年八十一才)の談によれば、地震動の始りしは午後三時頃で、保木脇の川向ふの山崩れ来り、川手前の山、向ふに移り、川流一時塞がりしが、夜中の十二時頃再び川流れ始めたり、其の時は一時道路を弁ぜず、只水者の近くに出んと考へ、漸く鳩谷に帰る事が出来た、其の後五十一年前にも震動あり、此の時は夜間であつた、明治二十四年十月廿八日の尾濃震災当時には微震を感じたのみで、倒れ家は一戸も無かりしと、其の昔天正十三年十二月廿七日の大震災は奥白川三百余戸の人畜を一瞬の内に埋#したので、其の惨状は想像せらるゝが、今でも往々耕地の下から昔の耕地が現はるゝので、其の一斑が知られるのである、