○越後の国新潟(ニイガタ)の近辺、文政子十一月十二日朝五ツ時〓大地震ゆりいだし、同十四日迄三日の間、昼夜ゆりやまづ、海辺通り出雲崎八彦(ヤヒコ)明神の山大に崩レ、海中江おし出し、同所三条町つばめ町また東御門跡の御堂、本堂十二間四方、、横八間四方、、、倶利十二間、、凡三十三間、、大門のこらずゆり倒し、其外田畑山川崩レこぼち、大地へあふれいて、人馬けが人数しれず、凡家数八千間余りたおれ崩レ、牛馬三千あまりも打殺され、古今稀なる大地震也、その荒増を爰ニ写しぬ、
文政十二丑二月四日、西太三良〓借り写、有図略之