文政十一子年十一月十二日朝五ツ時頃乾のかたより大なゐふりて我里も五百余軒の人家は潰又は破壊してひとつとして常なるはなし其内つふれたる家より火いてゝ玉風したなるかたへ燃ゆけと皆おのれ/\か身を守りて其火を防くもの独りもなきを幸ひに郷中の締役にとてまハらせられし坂上某の前日此地にとゝまらせ給ひぬれハはやくかけつけて其防をさせ給ひケれと風いとはけしケれはかさしたなるは人力にて防くへき術もなくしたいに火ひろかり風にしたかふのミならす家居はかりかちりのこものこさす焼失ぬるほとのいきほひさも見ゆるをかの坂の上のぬし西へはしり東へはしりて人をまねきつひに火をはしつめ給へりしはかのぬし新大(ママ)なる功といふへしされと火にやかれ梁なとに押されて死せるもの又五十余人に及べりおそろしとあることの中に人の命にかゝハるほとおそろしきことはあるべからずなり
(中略)