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項目 内容
ID H00010489
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1828/12/18
和暦 文政十一年十一月十二日
綱文 1828年越後三条地震(文政十一年十一月十二日)
書名 〔稀成事書証覚〕
本文
文政十一子十一月十二日
三条大地震。
朝五ツ時、戌亥子方より入くる地震の音は、鉄炮・大筒・底雷歟。家内驚、走出んとするに、三条町中不残潰れ、双方より一度に大火と相成、皆焼来り、人の焼死事数しれず、けが人も数不知。譬申ハ、十人の者は四ト通死、四ト通けが人、二ト通無事。
是に続ひて今町・見附七ト通ハ潰れ、大火ニ相成、焼死・けが人多し。
在村々家倒れ、ころぶと思バ、又、起返り、川がおんまかりて、魚が田中江、畑江揚り、酒屋大桶おんまかりて、酒の流事川のごとく、在の村々此辺などハ、外ニ小屋懸ケ、昼夜住居、凡日数ハ十二日〓同廿八日まで、誠に人々生心ちハなかりける。
在壱村でハ五拾七軒潰、本大島金五右衛門家潰れ、中ニ老母とかゝさしたニ成、村中鳴たて、人多寄、出す。新町長九郎・荘六・小助・六内家潰れ、此外にかしがり家多く有。
○本史料は文政六年~明治初年までのうち、文政十一年の記事のみ掲げた。
出典 ひずみ集中帯プロジェクト【古地震・津波等の史資料データベース】
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