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項目 内容
ID H00010485
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1828/12/18
和暦 文政十一年十一月十二日
綱文 1828年越後三条地震(文政十一年十一月十二日)
書名 〔乙村久世家実録年代記〕
本文
家 督 録
(中略)
文政十一戌子年十一月十二日 朝五ツ時分越後三条近ぢしん、三条町中不残よぢ潰レヤケ幾千人死、近在、近郷家潰レ、同見附町多ク潰レヤケル、人も少々死
日々間々ニぢしんよる事七十よ日ニして全納ル、今年三月潅頂有、同七月江戸大芝居、尾上菊五郎といふ
(中略)
同十一年戌子三月潅頂
七月尾ノ上菊五郎江戸千両役者大芝居、建元乙村絞三郎此人新潟ノ姓
十一月三条大ぢしん
乙村 又いろ/\ぢつ録
(中略)
同四年癸巳春 近郷大ぢしん、家ノカベ、やね石ヲおとす、大つなミ桃崎湊ニ人、多死、川舟福田村下タ迄逆流レ百石斗りの小まわし船、蛯江村上胎内川上へ逆流
三条ぢしん此、近郷も大ぢしん、此時ニひとし
同五甲午秋、大風もみ落ス
同七丙申年 大日本九州四国島々迄大悪作、別テ奥州ハ仙台・南部・出羽国五ごくみのらず、何万人の餓死也、
是翌酉ニいたりて
三条ぢしんハ、あまり大変なれハ後年必ス疑者もあらんと、全ヲしるし置処なるぞ
去年十一月米一六貫から十二月六貫八九百七貫、今二月八貫よ、三月二十貫と成りしぞ、四月貫至り十一貫八百十二貫迄致したるぞ、金屋市ニ白米一升代弐百七十文ノ事、二市ありしそ、是一番ノ高値なる事
(中略)
書印候事一ツとしていつわりをかくべきや、皆全キ処也、然共三条、善光寺大江戸の此三ぢしん、又此の違作余りに大い成る事故、ことわる処也
三条の時なとハ、比近郷斗りにあらず、紺屋・瀬戸物見世杯ハ大キ成る損をしたり、懸置シちゃ釜いろりの外迄ふり出ス事、南北とふつタ是を思ひ見れバ、桃崎つなミぢしんハ是〓少静なるかと思ふ
(中略)
ぢしん
文政十一戊子年十一月十二日朝五ツ半時、越後国中大ぢしん、別テ三条町大潰れ、町中不残ツボレヤケル、何千人死、鶴屋何がしと申一軒ニ手習子共四十よ人二階ニ居たるに、やれという内ニはや、はしこはづれ、家づほれ、四十よ人不残死ス、三条近郷ハ不申及并ニ見付町数十軒ツぼれ、此町不残ヤケル、人もケが有、間々ニぢしんよる事、七十よ日ニして全ク納ル、此年、乙村ニ潅頂有、七月江戸大芝居立
(後略)
○本史料は、家督録・色々実録・仏神録・火事覚・地震という項目が立てられ、それぞれの項目ごとに記事が記されている。史料の成立は文久三年五月二十三日の記事が見えるので、これ以降であると思われる。成立が遅いためか、文政地震は天保四年の地震と比較しながら記されているので、本資料には、他の地震記事も必要に応じて掲載した。
出典 ひずみ集中帯プロジェクト【古地震・津波等の史資料データベース】
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