十日 快晴(中略)此日昼四ツ時地震、六ツ時又震
○「惕軒日記」は、安政元年(一八四五)から明治二十七年(一八九四)にわたる、鈴木惕軒の日記である。溝口敏麿氏によると(「「惕軒日記」解題」『長善館学塾史料(下)』新潟県教育委員会、一九七四年)、鈴木惕軒は、天保七年(一八三六)に三島郡片貝村(新潟県小千谷市)の医小川玄沢の三男として生まれ、嘉永三年(一八五〇)に儒学塾「長善館」に入門し、明治三年(一八七〇)からは同館主を務めた。
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項目 | 内容 |
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ID | H00010428 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1858/04/23 |
和暦 | 安政五年三月十日 |
綱文 | 1858年信濃大町地震(安政五年三月十日) |
書名 | 〔惕軒日記〕 |
本文 |
十日 快晴(中略)此日昼四ツ時地震、六ツ時又震
○「惕軒日記」は、安政元年(一八四五)から明治二十七年(一八九四)にわたる、鈴木惕軒の日記である。溝口敏麿氏によると(「「惕軒日記」解題」『長善館学塾史料(下)』新潟県教育委員会、一九七四年)、鈴木惕軒は、天保七年(一八三六)に三島郡片貝村(新潟県小千谷市)の医小川玄沢の三男として生まれ、嘉永三年(一八五〇)に儒学塾「長善館」に入門し、明治三年(一八七〇)からは同館主を務めた。 |
出典 | ひずみ集中帯プロジェクト【古地震・津波等の史資料データベース】 |
ページ | |
備考 | |
都道府県 | 新潟 |
市区町村 | 吉田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる |
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