一、十一月十五日、巳刻地震にて、所々破潰の処、未刻又々大キに震ひ、相川御役所向を始、人家に至迄、破損に及ふといへとも、震潰したる程の家も無之に付、怪我人等はなし、銀山内甲坂と云所之、岩山落重り、通路を塞く、幸ひに通行のものもなく、怪我人なし、未刻の地震にて、又々岩山落重りし時、数十町隔りし鳥越間歩之、土煙り来り、暫時は暗夜のことし、諸間歩数内は、別条無之といへとも、鳴動甚しく、大工、水替等に至る迄、悉ク逃上り、来る廿二日迄、御稼相休、尤当分の内、地震ふ事止ます、
一、小木湊は、別て地震強ク、入江の内変地いたし、干潟に成、洪波にも可及哉と、人々危踏処、未刻の地震にて、人家震潰し、所々より出火に及ひ、番所、役家を始、人家三百弐拾八軒、土蔵二十三ケ所、寺院二ケ寺、焼失におよひ、即死人十八人あり、焼失に不及家々は、不残震潰し、近郷とても、皆々人家大破に而、逃迷ふ時節に付、小木町の者共途方をうしなひ、山中に寄合、大畑ケと云所仮小屋を補理、役人を始打寄、艱難至而甚シ、小比〓村蓮花峰寺より、粥を炊、飢を救ふ、
右変事之往進、十七日昼頃に至り、相川之到来に付、広間役、目付役、地方掛等潰す、
一、三郡村々の内、羽茂郡は取分け地震甚敷、沢崎、深浦、赤泊湊等も、地面震上ケ、潰家、破損家、数千軒に及ひ、田畑、道橋、山林等、損所夥し、
一、小木町之、米百五拾石、銭三千貫文貸附、