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項目 内容
ID H00010334
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1833/12/07
和暦 天保四年十月二十六日
綱文 1833年出羽庄内沖地震(天保四年十月二十六日)
書名 〔慊堂日暦〕
本文
二十六日天陰、(中略)〓と夕とに地再び震う (中略)
○地震
客月二十六日、〓に越後の地震(ふる)う。沼垂(ぬつたり)は戸一千、その圧倒せるもの五六十戸。岩船・瀬場・塩津は新発田の封内にて、みな被災す。津軽侯の飛使は某所にて圧死せり。その他は、地の〓け川の湮(ふさ)がること数所。新発田の封外もまた然りと(三宅生語る)。 (中略)
○地震
十月二十六日、賀越能の地震(ふる)う。能の海島もっとも甚だし。佐渡越後もまた甚だし(西条侯が米庵の話を語る)。
○本史料は、漢学者の松崎慊堂の日記である。『慊堂日暦』(東洋文庫)の訳注者山田琢氏によると、現存する自筆本日暦は、期間が文政六年(一八二三)から弘化元年(一八四四)までである。松崎慊堂は、文化十二年(一八一五)より、江戸目黒の羽沢村の山荘と江戸桜田の児舎とを月に数回往復するという生活を送っていた。
出典 ひずみ集中帯プロジェクト【古地震・津波等の史資料データベース】
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