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項目 内容
ID H00010324
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1833/12/07
和暦 天保四年十月二十六日
綱文 1833年出羽庄内沖地震(天保四年十月二十六日)
書名 〔八丁夜話 第十〕
本文
○廿五日 曇りて小雨なり、此日町処へ出て諸事取調てあり、瀬兵衛か明日越後へ参る迚出しかは何角の事を談してありしに、未の半刻とも覚しき頃俄に地震ふ事甚し、凡半時も震いたるなるへし、役処の造りは瓦屋根なれはもと天窓勝なるゆへ誠にけしからす、振れて潰れんとするはかりに思はれたり、我坐して居りし側の床壁か落刀懸へ当る、障子なとはみり/\とさける、隣は江戸屋敷なりしか是は棟数なるに未塵になりしことくに見ゆる、瀬兵衛は用談を半はにして立てり、
須叟にして静になれは、密に次の間を覗けは一人も不居、不残長町の土手へ出たるもおかし、逐々のさた諸破損夥し。
七つ頃に帰宅し見れは我家未塵になれり。第一石屋根なれは不残屋根は落たり。近年皆継足して居たりしは皆離れたることくなり。先家内無事なり。此節此ふしんへ懸りては財用始ほとんと窮し、又不拵しては公務か出来す寧止んやと茫然としてありしかは、忠恕か来りて此節柄私の事にあらす自らの家を明て参らせんと云より。翌日登城。公辺も有りのまゝに申まいらせて直に保戸野へ行り。夫より忠恕は別に今の小坐を補理せり。
出典 ひずみ集中帯プロジェクト【古地震・津波等の史資料データベース】
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