同日八つ時とおぼしき頃、忽地震して動キ出つ、是にて当郡間も伝へざる大地震也、人皆驚きまとひて蜘の子を散らすが如く走りまわる、起あからんとすれバ倒る、揺るる事強ク壁落し土をふるい、垂木くだけて軒傾き、長崎村抔は凡家蔵ともに五拾余軒仆れたり、荘内・越後の津々浦々大ニ損ずると聞、凶年には色々の災ひのミあるものぞかし、
○「巳荒鑑」は、天保十三年(一八四二)九月に大井沢村志田五郎右衛門草雨が書写したものである。『西川町史編集資料 第三号(二)』によると、「天保四 一」と「天保五午 二」の二冊からなり、稲垣耕斉の勧めにより農民の佐藤昌斉が編纂したものである。