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項目 内容
ID H00010226
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1833/12/07
和暦 天保四年十月二十六日
綱文 1833年出羽庄内沖地震(天保四年十月二十六日)
書名 〔老の友〕
本文
一、十月廿六日地震洪波有之、静窓筆記ニしるし置
一、由良の船頭八太郎といふ者、地震の後ハ高潮ありと聞ハ、船を揚んとて妻子を連、海辺に出たるに忽漲来、二人の男子ハ逃去たれと、八太郎夫婦と娵ハ死生知れさりしに、八太郎ハ水錬の達者にて打上る船に取付、人家に打上られ、両人の女も運強、人家の辺に打あけられ、いつれもからき命を助りしとそ
一、六月洪水の前、入日殊の外赤き事、両度有之しとそ
一、十月廿六日、空甚近く雲ハ樹木にかゝるか如く、又雨降しかと河水渇し井の水も殊の外滅したると也
一、地震ハ広き家格別強く覚ゆるもの十月廿六日御城にてハ当番の人々已に死を決したる程の事なりしとそ
一、十月廿六日の暁、沖の方、殊の外赤かりしと、海辺の者語りし
一、十一月此頃、御城下にて菓子の価五文より高きは売買御停止のよし、天明の飢饉には十文より上を禁せられし由、又此頃より酒造必至と御停止なり
一、十月廿六日の地震総穏寺にてハ葬式引導の折にて、寺中以て外騒きあへりしに、和尚ハ常に替事なく静に引導を終へしと也、常々行状も触殊更に称しあへり
出典 ひずみ集中帯プロジェクト【古地震・津波等の史資料データベース】
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