一、十月廿六日七ツ時大地震、其上ツナミニ而四丈斗り海水押揚、浜辺加茂辺大痛、人茂痛申候、御郡中所〓ニ而家茂痛、酒田辺ハ先年之地震よりハヨワク相聞申候、当村方抔は左程ニ茂無御座候、越後新潟辺ハ格別大変ニ相聞申候
○『立川町史資料 第二号』によると、「万永代富控帳」は、斎藤治右衛門家(山形県東田郡立川町大字清川)所蔵の文書のうちのひとつで、約一五八年間にわたる記録である。諸証文の控が主であるが、その外にも多くの記事が挿入されている。斎藤治右衛門家は、藩政時代より明治初年まで、狩川(北楯)大堰の大水門守や清川組杖突役などを兼ねていた。当記事には荘内沖地震に関して、伝聞内容もまじえ記載してある。