同十月二十六日昼四ツ時大地震、同日神馬沢新太郎土蔵当村仙内土蔵壁落ち、
常右エ門土蔵はつぶれ申し候、外に重三郎・善三郎右の土蔵も壁落ち申し候、同日翌朝迄凡そ五十度も震い申し候、右同日浜海道大地震津波にて大痛み、越後瀬波辺より早田までの内大痛みにて落家、つぶれ家其の外怪家人死人早田迄の内村々弐三人ずつこれ有り申し候、越後大川村辺にては二十人余も死申し候由、其の外旅人も多く死に申し候、両岩川共温海迄の内痛みこれ無く、しかし乍ら浪上り家は少しく御座候、それより下大痛みにて五十川辺にて茶屋へ休み居り候旅人弐三人流れ死に申し候由、両羽渡し大痛み死人けが人も御座候、それより湯野浜加茂辺も大痛みに御座候由、湯の浜にては湯治人多く死に由し候、誠に前代未聞の事に御座候、右の地震ニ十六日より霜月五日六日頃迄は一日に四五度位夫より二十六七日迄は一日に、壱弐度位、夫より極月四日頃迄に三日に一度ずつ震い申し候、大地震より凡そ四十日程の内震り由し候、前代未聞、末代にもこれ有るべからず候、