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項目 内容
ID S00001800
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1650/04/24
和暦 慶安三年三月二十四日
綱文 一六五〇年日光地震(慶安三年三月二十四日)
書名 〔大猷院殿御実紀巻七十五〕
本文
(慶安三年三月)
○廿四日、地震によて家門、諸大名登営す、(中略)(水戸記、日記)○廿五日、昨日の地震によて、日光山相輪塔以下、石塔、石垣等傾敗せしよし注進ありければ、阿部対馬守重次、新番頭駒井右京親昌巡察を命ぜらる、また同じ事によて、尾邸へ御側内田信濃守正信、水邸へ久世大和守広之御使して、日光山 御宮、御宝塔つゝがなくわたらせたまふよし告らる(水戸記、日記)○廿六日、大工等は日光へ登山して、相輪塔造替の事を議せしめらる、(中略)(日記)○廿七日、奥平美作守忠昌、日光山石垣造替の事命ぜられ、いとま給ふ、(中略)(日記)○廿八日、月次出仕のものがら老臣に謁し退く、今度日光山地震烈しかりしかども、 御宮つゝがなくわたらせたまふをほぎ給ひて、高家吉良若狭守義冬代参せしめられ、 大納言殿よりは品川内膳正高如代参命ぜらる、(中略)(日記)
(慶安三年四月)
○八日(中略)さきの日地震にて破損したる日光山石垣修築の奉行を、書院番天野弥五右衛門長重、赤井五郎作恒宅命ぜられてつかははさる(日記)
(後略)
出典 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】
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