Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID S00001728
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1703/12/31
和暦 元禄十六年十一月二十三日
綱文 元禄十六年十一月二十三日
書名 〔伊東温泉のうつりかわり—江戸時代から現代までの資料—〕
本文
[未校訂]伊東誌上巻より温泉に関する記載部分抜粋
(略) 伊東誌下巻より温泉に関する記載部分抜粋
雑部
○和田村温泉
同村出作地。慶長五年中公へ書上には慶長三戊(戌?)年家建よしあり。慶安三年には御城へ御前湯に差上候証拠書物等今猶存せり。又貞享三寅年紀伊中将殿御入湯に被為入、其後は諸家方御入湯の御沙汰無之、元禄十六未年津浪にて村中湯舎共引取られ、宝永四亥年に到、神尾備前守殿御入湯有之、其節は和田村御宿仕候、家未無之に付竹之内村最誓寺御本陣たり、温泉は小屋懸り(ヶ)にて御入湯被成候よし。津波十四・十五年已前迄は本陣二軒其外座敷等有之、家も多く諸々より湯治人も参り候よし、延享中地頭へ書上ゲ見えたり。
温泉坪五槽(一槽はキケンボウ、二槽は上湯、二槽は外湯と唱なり。)
伊豆誌曰、泉殊に多く湧く。槽五つ。能ク温メ体ヲ治メ婦人□地為疼ヲ、諸痛打瘍痔漏諸瘡ニ功ヲ得。一槽は泉濁りてぬるし。専ラ治ス眼疾ヲ。(この一槽キケンボウ云々)
近年江府に出し豆州湯ヶ原と称もの此温泉の事なり。湯槽五つあるうち内の二槽は上湯と呼て其功験いちじるし。(因曰此温泉正月二日初湯の時、村長下田氏入湯不済内は他人入る事不許。已来仕来りなり。又御公儀御役人・地頭役人和田村止宿の節は、御入湯被成候には留湯の札を懸てみだりに入る事を不許也。慶安中御城へ御前湯差上候節の旧記は名主家にありてここに不乗。)
出典 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】
ページ
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 静岡
市区町村

検索時間: 0.002秒