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項目 内容
ID S00001713
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1703/12/31
和暦 元禄十六年十一月二十三日
綱文 元禄十六年十一月二十三日
書名 〔折たく柴の記〕
本文
我はじめ湯島に住みし比、癸末の年、十一月廿二日の夜半過るほどに、地おびたゝしく震ひ始て、目さめぬれば、腰の物どもとりて起出るに、こゝかしこの戸障子皆たふれぬ。妻子共のふしたる所にゆきて見るに、皆/\起出たり。屋のうしろのかたは高き岸の下に近ければ、みな/\引ぐして、東の大庭に出づ。地裂る事もこそあれとて、たふれし戸ども出しならべて、其上に居らしめ、やがて新しき衣にあらため、裏うちたる上下の上に道服きて、「我は殿に参る也。召供のもの二三人ばかり来れ。其余は家にとゞまれ」といひてはせ出づ。道にて息きるゝ事もあらめと思ひしかば、家は小船の大きなる浪に、うごくがごとくなるうちに入て、薬器たづね出して、かたはらに置きつゝ、衣改め着しほどに、かの薬の事をば、うちわすれて、はせ出しこそ恥かしき事に覚ゆれ。かくて。はする程に、神田の明神の東門の下に及びし比に、地またおびたゝしくふるふ。こゝらのあき人の家は、皆々打あけて、おほくの人の小路にあつまり居しが、家のうちに灯の見えしかば、「家たふれなば、火こそ出べけれ。灯うちけすべきものを」とよばはりてゆく。昌平橋のこなたにて、景衡の、時に朝倉余三といひし。我かたにはせ来るにゆきあひて、「あとの事、よきにはからひ給へ」といひすててゆく。橋を渡りて南にゆきて、西に折れて、また南せむとする所に、馬をたててあるものを月の光りにみれば藤枝若狭守也。これは地の裂けて、水の湧出れば、其深さ・広さのはかりがたさに、かくてありしなるべし。「つゞけや、ものども」といひて、一丈余りになりて流るゝ水の上をはねこえしに、供なるものども同じくこえぬ。その水こええし時、足をうるほしければ、草履の重くなりて、ゆきがたかりしかば、あらためはきて、はするほどに、神田橋のこなたに至りぬれば、地またおびたゝしく震ふ。おほくの箸を折るごとく、また蚊の聚りなくごとくなる音のきこゆるは、家々のたふれて、人のさけぶ声なるべし。石垣の石走り土崩れ、塵起りて空を蔽ふ。「かくては橋も落ちぬ」と思ひしに、橋と台との間、三四尺計くづれしかば、跳りこえて門に入りしに、家々の腰板のはなれて、大路に横たはれる。長き帛の風に飄りしがごとし。竜口に至て、遥に望みしに、藩邸に火起れり。その光の高からぬは、殿屋たふれて、火出し也と、いと覚束なくて、心はさきにはすれど、足はたゞ一所にあるやうに覚ゆ。こゝより四五町がほどゆきしと思ふ比に、馬の足音のうしろのかたにするをかへり見れば、藤枝の馳来る也。我こゝまでは来たれど、ゆく末の事はかりがたければ、「若狭守殿とこそ見まいらすれ。あの火のありさま覚束なく侍るものかな」といひしかば、「されば候、来らせ給へ。馬上に候、御ゆるしかうぶらむ」といひて、はせすぐ。やがて日比谷の門に至るに、番屋たふれ、圧れて死するもののくるしげなる声す也。かしこに又馬よりおりたちて居しものを見るに、藤枝也。これは桜門の瓦の、南北の檐より地に落かさなりて山のごとくになりたれば、こえがたきによれる也。「いざさせ給へ」といひて、ともなひて、その上をこえすぎて、小門を出て見れば、藩邸の北にある長屋のたふれて、火出しにて、殿屋には、はるかに隔りたれば、胸ひらけし心地す。藩邸の西の大門ひらけて、遠侍のたふれし見ゆ。藤枝こゝより入らむとす。「某は常に西の掖門より参りぬれば、かしこより入候はむ」といひてわかれぬ。かくて、掖門より入て見るに、家々皆たふれかたぶきたれば、出たちてある人に、路ふさがりてゆくべからず。そこをすぎて、常に参る所に至りたれば、其所もたふれて入べからず。藤枝またそのほとりにたゝずみ居しをともなひて、御納戸の口といふ所より入たり。こゝかしこの天井落かゝりし所々をすぎて、我は常に祇候する所に参りしに、今の越前守詮房朝臣の、こなたの方に来るにゆきあひて、御つゝがもわたらせ給はぬ事を聞き、「かゝる時に候へば、推参し候」といひすてて、常の御座所に参るに、その庇の内に、東の屋のたふれかゝりしあり。近習の人々は、南の庭上にたち居たり。「上にはあなたの庭におはします也」といふ。戸田・小出・井上などのおとなたちも、こゝに入来る時は、庭上にたちぬれば、五十嵐といひし人に、いひ語らひて、今の一十郎のわかき時の事也。御小納戸衆にてありき。御庇に敷れしたゝみ十帖ばかり、庭上におろして、皆/\を其上に坐せしむ。地震ふ事しきりなれば、坐せしうしろの池の岸くづれ/\て、平かなる池も狭くなれり。かゝりし程に「酒井左衛門慰忠真仰をかうぶれり」とて入来りて火を防ぐ。「火熾りならむには、御座を移さるべし」など聞ゆるに、御袴ばかりに、御道服めされて、常の御所の南面に出でたゝせ給ひ、某がさぶらふを御覧じてめす。御縁に参しかば、地震の事つぶさに問はせ給ひて後に、奥に入らせ給ひぬ。夜も明けぬべき比に至て、「おほやけに参り給はむ」と聞ゆ。某長門守の耳につきて、「地震ふ事なをしきり也。参らせ給はむ事、いかにや」といひしに、「我もさこそはおもへど、とゞめ申すべき事にあらず」といふほどに、出たヽせ給ひたり。かくて、かの火出しところにゆきて見るに、たふれし家に、圧れ死せしものどもを引出したる、こゝかしこにあり。井泉こと〓くつきて水なければ、火消すべきやうもあらず、此時、御庭の池水を汲むといひしを、今の曲淵下野守の、「此水用ゆべき時あり」といひて、ゆるさゞりし。いかにおもひしにや、覚束なし。かゝりしほどに、いまの隠岐守藤詮之の、我をいざなひて、兄の詮房朝臣の家の庭に入りて膳を薦む。よべ侍医の坂本といひし人の、養慶といひき。庭上にきたりて、我を引のけて、袖より物出してあたふ。湯にひたしたる飯を茶碗に盛し也き。それをくひしのち、程へしかば、飯うちくひ、酒うちのみて出づ。今の市正藤正直の家の前をすぐるに、よび入て茶をあたへたり。かゝりしほどに、「帰らせ給ふ」と聞て、入らせ給ふべき所にゆきむかひて、むかへまいらす。そこより、おとなたちと我と四人うちつれて、いづこにやありけむ、ほそき渡殿のある所を経て、常の御座の方にゆくに、作りあはせの所に至る。人々は草履を袖にしたれど、戸田はその用意なしとみゆ。我は、「かゝる事もこそあれ」と思ひて、はじめ庭上に在り時、そこらの草履を左右の袖にしたれば、取出てあたふ。かゝりしほどに、ふたゝびさきの所に出させ給ひ、某をめして、「我いとけなき時に、上野の花見しものどものむれゐしをみしに似つるかな」と仰られて、わらはせ給ひぬ。とかくせしほどに、火も打消しぬ。日すでに午の半にもなりぬべき比、又出させ給ひて、某をめす。参りしかば、「妻子どもの事、そののちの事、聞えしにや」と仰あり。「よべ参りし後は、こゝにのみさぶらへば、それらの事も承らず」と申す。「我谷中の別業にゆく時に、人のをしへたりしをおもふに、居所は高き岸の下にありしとこそ覚ゆれ」と仰らる。「さん候」と申す。「いと/\覚束なき事也。かくては、地ふるふ事、数日をも経め。ふるひし初の事のごとくならざらむには、あひかまへて来るべからず。とく/\家に帰るべし」と仰下されしかば、罷出で、召供のものにたづねあひて、「よべのまゝにさぶらひしにや」ととふに、「けさとく家にのこせしものどもの、来り代りぬれば、家に帰りて、物くひて、また参れり」といふ。これによりて、妻子どもの事故なかりし事をもしりぬ。心しづかに家に帰りぬれば、未の初にはすぎぬ。明けの日、藩邸に参りしに、殿屋こと〓くかたぶきたれば、東の馬場に、仮屋うたせ給ひておはします。地なをしきりにふるひぬれば、「必ず火起りぬべし」とおもふに、我ぬりごめのかたぶく迄はなけれど、壁の土くづれ落しあまた所あれば、くづれしつち水にひたして、そのやぶれを修め塗らしむ。おもひし事のごとくに、同き廿九日の夜に入て、火起れり。資材こと〓くぬりごめにおさめしかど、おもふに。「地ふるふ事やまず。ぬりごめたふれん事もはかるべからず。また修塗りし所の土いまだ乾かず。火勢さかりにして、新旧の土の間ひらけなば、内に火の入らむ事も、はかりがたし」。やがてそのほとりの地に坑鑿らせて、賜りし所の書ども、また手づから抄録せしものども、ぬりごめより取出して、かの坑の中にゐれ、畳六七帖その上にならべ置て、土厚くきりかけて、家を出づ。こヽかしこにて、火のために道を遮られて、火勢やゝ衰へし時に、そのやけすぎしあどの道を経て、家に帰りてみるに、かの書を埋みし坑に近き岸の上なる家のやけ落たるが、火いまだ消ずぞありける。しきりに水をそゝぎて、火打消して、やけたる家の柱などとりのけてみしに、其家の落ぬる時に、彼埋みし所の土をばうち散らして、上にかさねし畳のやけうせ、下なる畳に火すでにつきし程に帰りきける也。ぬりごめは思ひしに似ず、たふれもせすず、やけもうせず。さらば、「はじめ坑うがち、書おさめし事は、徒に力を労せし也けり」といひてわらひぬ。
(後略)
出典 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】
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