[未校訂]一元禄十六年の大津浪
十月二十二日の夜九ツ時頃にて昼七ツ時頃より納屋の井戸水底干にて少も無之堀河の浜辺ニてハ大に怪しみ不思議なり迚騒き居る中海の浪高まり候ニ付岡に縁故ある者ハ逃去り候故に堀河村にハ水死人ハ百人計りの由に候へとも此時津浪の為水死人数千人にて木戸方より吉崎辺迄にて水死人凡ソ二千人余も有之候由にて所々に二百人又ハ三百人宛の水死者の供養の塔或ハ埋葬の塚有之候此時の津浪ハ飯倉の砂子山迄大浪押上候由にて古来稀なる大津浪ニ有之候為心得見聞の侭書記ス申候
北古屋内
養元
六十二才記之
享和三亥年正月五日