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項目 内容
ID S00001348
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1703/12/31
和暦 元禄十六年十一月二十三日
綱文 元禄十六年十一月二十三日
書名 〔荻野正則記録〕
本文
元禄拾四年未十一月二十二日子丑ノ刻、辰巳ノ方より地震そろ/\致来、段々きひしく、其節世間人々寝しつまり、正体なき折節の事にて、はやく目さめ候ものも起たたんとせしかとも、地震漸々につよく、たをれふし/\うろたへ、其内西裏口えかけ出、薮の内又は山えかけのほり居候もの数百人、いまた寝伏居候者は浪に引とられ沖え出候。其節浜え出合候者沖の方を見候へは、半里程沖にまつ黒なる雲のやうに相見へ、水きわに白布を帯とせしやう相見、山のことく押参候ゆへ、是は津浪よとよはわり候と、ひとしく陸地へうち上け、浜通三百余軒沖中へ引取申候に付、右ねたし居たるものは、家共に浪にとられ、其外起居候ものも被引取、沖中にてなきさけふ声、さなから地獄にて罪人呵責に逢ふたり節もかくやと、人々申あへり。二の浪にて陸へうち上候家共、柱けた、引物はりねた等、かや之たしかけ、一面に山のことくうち上、其内にて未十死一生のもの有之、なきさけふ声あわれとも、いつれにたとへかし。其内夜もほのかと明候へは、入谷〓出合いまた性根も有之者は、其縁に付、せおいになひなといたし、つれ参養生いたし、又死人は右かや・材木の内をさかし出、寺々へ荷ひかつき申事、非人のはてもかくやと計に候。漸こも表を求、それに包、寺々にても数百人候にて候へは、みな堀埋/\仕候。遠くゆゝ敷暮たる者も、右のことく浜辺に家一軒も不残候へは、村中津浪の者其縁により、皆々入谷に宿借候て、後にはまへ移申候。壱ケ月程之間、浜通村之者、通路無之候。
出典 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】
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