(表紙)
「北下干潟出入之覚書 正徳二年卯之七月より辰正月」
(前略)
公事ニ可罷出と申ニ付、双方より張紙いたし、九月十三日之御評定ニ罷出、絵図御披見ニ入、重左衛門申上候ハ、六石台越中守殿御知行所、六石下之ひかた越中守知行所地引揚と申上候、私共申上候ハ、六石台ハ真倉村分ケ郷ニて越中守様御知行所ニ御座候、ひかた之義ハ此方地頭之干鰯場ニて、地震已後運上取立来申候、地引之義小あいと申所ニて入会ニ引来、地震前ハ小あいより外ハ岩間ニて、地引難成、ひかたニ罷成候ても、六石台より砂浜ヘハ、所ニより壱丈より壱丈四五尺下ニて御座候、ひかた砂浜、此方干鰯場ニて、一切地引不仕候、此段ハ地引請負人ニ御尋被下候様ニと申上候、干鰯為仕運上取立候義ハ、干鰯商人ニ御尋被下候えハ、相知レ申候義ニ御座候、干鰯帳面共御披見ニ入申度と差上ケ申候、其外ケ様ニ北下島と申上候義、六石台ハ上須か六石台と申、則越中守様御免状も是ニ御座候と申、差上ケ、此方之義ハ北下と申名所、御免状ニのり申候と申上、免状差上ケ申候、右書物共御覧無之海ハ其方之かと御尋御座候、成程高入ニて御座候と申上候、海高入ニても、名所有之哉と御尋被遊候、成程北下と申名所御免状ニ御座候と申上候、重左衛門申上候ハ、此ひかた運上金四両弐分、六石台名主ニ預ケ置申候えハ、あの方ヘ取候、此段ハ追て御訴訟可申上と申上候、私共申上候ハ此方ヘハ地震已後干鰯運上金取来候、大切之運上金其元ヘと取不申、可預ケ訳無御座候と申上候、御奉行大隅守様被仰付候ハ、検使ニ罷成候間、霜月十三日ニ罷出候様ニと被仰付、御帳場ヘ廻り封紙被下、絵図大切ニ可仕旨ニて、包紙のり共ニ被下封候て、双方相封ニて、預リ置申候、
(後略)