(前略)
元禄以来嵐之覚
一、元禄十一年戊寅六月九日かみなり、ひやうふり作損申候、□同九月六日昼より七日朝五つ迄大火事江戸
(中略)
一、元禄十三庚辰二月二日夜両大風・大雨、同月九日大雨、少氷ふり
一、宝永元年癸申十一月廿三日夜八つ大地震、江戸はみつけ方々のかこい、こうじ、すいどう、朝草とりの九りん損申候、いなかは川通ゆりさき下よりあお砂出申候、八つ迄七つ半時迄ゆり久しく、大地震二度、小地震数不知、房州うら、人家坂東三十三番目観音なこでら、此時つなみ来て、□へ引、其後なこ寺立寄三拾町程もとは海なるか此度[ ]島弁天、地震前はしをみ□ひき、地震より五、六年[ ]を満引なくて舟にて通行、其[ ]本のことく也、
(後略)
注、本史料は江戸中期から幕末まで苗間村(埼玉県入間郡大井町苗間)の名主を勤めた神木氏所蔵の文書である。この覚は、表紙に「万治年より年代記」「元禄以来嵐之覚」「金銀と銭御吹替り之覚」等と記され、万治元年(一六五八)から享和元年(一八〇一)までの記事がある。