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項目 内容
ID S00001089
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1853/03/11
和暦 嘉永六年二月二日
綱文 嘉永六年二月二日(一八五三・三・一一)
書名 〔青窓紀聞 四十四上〕○名古屋名古屋市蓬左文庫(三三—三)
本文
[未校訂](嘉永六年)
一当月二日朝五半時過四時頃ニも候哉、余程之地震ニ而無程震返しも有之、近年覚へぬ斗御座候処、実説不慥相聞申候内、小田原宿詰七里之者出府いたし候付、荒増様子尋申候処、右詰七里之者箱根御本陣見分として当月朔日箱根宿江罷越、箱根詰之者と代り合箱根詰之者ハ三島御本陣見分として相越候よし、然処二日朝五半時過大地震ニ而右手続荒増別紙之通ニ候旨申立けしからぬ事ニ御座候
此通二月十八日着便ニ江戸表より申来候
当月二日地震ニ付損所等之儀七里之者小出九郎次儀去ル七日出府仕申聞候趣書取
一小田原宿詰七里之者、小出九郎次義 御旅館改として当月朔日箱根宿江相越候処同二日辰中刻頃大地震ニ而火鉢土瓶飛出し候付火之元用心之為右火鉢大道江投出し漸脇一善を提駆出し候由、右役詰所建具類等不残損鴨居落候よし
一右節所之者ともハ子供を抱へいつれも外へ懸出し地ニ伏し泣叫び居候処、間もなく再ひ震ひ、最前〓ハ少し、ユルヤカの由、此時ハ所之者万さい\/と漸声を発し候旨
一問屋役人壱人即刻為見廻右七里之者詰所江相越候付、七里之者共も倶ニ近辺之火之元見廻り候旨
一同夜篝を焚宿中不残野宿仕居候旨、夫迄ニ大小取交七度程震旨
一箱根宿本陣駒佐五右衛門方見分仕候処、玄関天井落入側向天井落懸り居、上段向小座敷張付壁杉戸損シ、勝手向壁大方落旨
一右ニ付上段向新壁附幕張等取斗候得は 御宜、休之儀ハ御座支御座有間しく候旨
一同宿並一統損所多分ニ相見候ヘ共倒シ候程ニハ無御座往還ハ所々小々ツヽ震込、水道水溢れ候旨
一右宿之内登り方右江壱町程入浄土宗本源寺更ニ故障無御座、其内本堂前之五輪并灯篭倒レ砕ケ本堂前白洲敷石真中斗>如此五寸程くゑ込候旨
一右寺〓纔廿間程隔万福寺堂壱尺程倒懸り候旨
一三島宿沼津杯ハ外へ駆出ス程ニハ無之居なから茶を給居候程之由ニ御座候旨 三ツ家山中辺迄ハ箱根同様之よし
一箱根宿御関所差而損所不相見右手前壱里塚石垣崩候旨
一七里之者詰所隣之者七八人程船ニ而湖水向神代杉と申所之山江薪取ニ相越候処、地震已前己前右山大震動仕惣七挺ニ而逃帰候旨
一箱根権現灯明無故障宝珠塔一ツ倒レ候旨
一賽ノ河原地蔵塔故障無御座候旨
一権現坂辺壱弐尺程之石多分山〓崩落、其外小石ハ夥しく落候旨
一老ひだむらと申所醴売候小家有之候処、大石壱ツ右小屋江落居候えども小屋ニ障り無御座旨
一割石坂〓下リ方之処長サ二間程之間往還一はん数多之石ニ而往来埋り右高サ三尺程積り候旨、地〓吹出し候訳、ニハ不相聞山〓、、落欠よし、ニ相聞候、
一畑ノ内住居屋裏一円石垣崩レ家傾き候旨
一須雲川土橋落候旨
一同村下り方入口駒形宮上り段石垣十三間程崩レ右石垣之内大石落候旨下タ之居小家不残砕候旨
一畑〓三十町程下り方新道と申所往還江砂利一円ニ押出し高七尺程長十間程ニ成り、右様之所三ケ所程有之、其侭右砂利上を往還相成居候旨
一右新坂下猿沢僑落候旨
一湯本伊豆屋定右衛門方為差損しも無御座 御小休御差支無御座相見候旨
一入生田村宗観寺右門石垣不残崩レ候旨

一駒爪橋一尺程震ひ込候旨
一小田原宿見附倒レ落候旨
一同所伏越水道七丁程石蓋落石垣崩レ候処、右蓋一昼夜ニ取揚候付水通り候旨
一右辺住居裏之方七分通り崩レ候様ニ相見候旨
一本陣清水金左衛門方土蔵類ハ不残崩レ上段向其外湯殿等故障無御座、玄関向小敷台所辺余程傾き候由
一右本陣前半丁程入込松原明神と申社有之、七間程之瓦葺拝殿崩、本社無故障、右拝殿ニ子供十人程遊ひ居候処緋之衣着小憎一人来り右子供共追出候、尤直ニ右拝殿震ひ崩レ候旨
本堂向ハ更ニ故障無之不審之由○大久保家ニ而格別尊敬之神之由、正月十五日祭礼有之、右祭礼無滞相済候段江戸表屋しき江早馬ニ而注進有之振之よし
一拝殿と申所日当りもよし毎々子供共寄付上り遊ひ場之由候処、金神之御蔭と相見候旨
一旅篭屋向裏通り之方ハ多分損候旨
一本陣〓三町程左右ハ差而強も無御座旨
一城矢狭間之塀扣柱共堀内江崩レ込櫓三ケ所天守とも大損し、翌三日夕七時頃之地震ニ而鉄炮多門崩レ鉄炮類堀江落候旨
一三之丸内家中屋敷八九分通り崩レ候旨
一小田原宿ハ今以野宿ニ而諸道具迄も家内へ入候事不相成、尤火を焚候儀も不相成段領主〓申談候旨
町々五町ツヽ組合火之元廻り厳敷中ニハ三味線なとも用ひけしからぬ賑やか成事のよし
一右宿名主初太鼓笛或岩銅だらひ等ニ而夜中火之元見廻り候旨
一小田原宿詰七里之者詰所前ニ罷在候御状箱賄ひ藤吉と申者居宅不残潰レ候旨
是〓風聞之趣
一小田原宿〓三里程入松田村と申所ニ而馬壱疋口附とも埋り込候旨
一同宿〓二里程有之道了有塚原村と申所弐百軒斗之家数不残倒レ候旨
一道了権現麓関本村百軒斗之家居不残倒レ候旨
一小田原〓二里半程隔和田村と申所一軒之家ニ而十人程即
死之旨
一同宿〓三里程隔岩村と申所ニ而五人程立埋り候旨
一根府川村辺損し所有之候得とも御石場ハ故障無御座旨
一小田原宿〓十丁程北ヘ竹ケ鼻町家並九分通も倒レ候旨
一相州江之浦ニ而石工之者五人程立埋り候旨
一小田原浜手之方台場二ケ所損し所御座候旨
近年大久保家〓新規築地立歟ニ相成候よし
一小田原宿損所等右之通ニ而当春 御帰国之節 御旅館ハ御請難申上哉ニ宿方之者申聞候得とも九郎次見込ニ而ハ御本陣を初御供方下宿も可成出来御差支有御座間しくと奉存候旨
右之趣承り候付申上候
二月
出典 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】
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備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 愛知
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