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項目 内容
ID S00001040
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1853/03/11
和暦 嘉永六年二月二日
綱文 嘉永六年二月二日(一八五三・三・一一)
書名 〔相模国大地震之図〕
本文
[未校訂]相模国大地震之図、△人数三千七百八十人、△馬 五百二十三匹/△牛 三十五匹/△土蔵数しれず、
夫天地不時の変動ハ陰陽混じて雷雨となる地にいるときハ地しんをなすこと神仏のお(か)うごにもこれをおさむる事か(たしカ)ごとし頃ハ嘉永六癸丑年二月二日ひる四ツ時〓よる九ツ時すぎ迄相州豆州駿州甲斐の国大ぢしんべつして相州小田ハら大久保かがの守様御城下万丁本丁板ばしれうし丁通り青もの丁すヾ越丁さか丁御城かどやぐら町家ともおほくそんず東ハ田むら川へんはぎの山中御ぢん屋大久保ながとの守様御れうぶん陶綾郡神戸升こ大いそ宿そが野中むらへん金子すゝ川みのけかすやいせ原子やす大山へん大住郡どうりうごんげん様このきんへん十五ケ村ハ百間またハ百五十けん二百けん村\/にわづか家二けんほど残りせき本ハ五百けんほど村にて二百けんほどこのきんへん大あれにて上むら谷むら早川いたばし山ふたご山はこねごんげんさま御社内同所湖水あふれ出さいのかハら大いにくづすならびに同所ゆもと七ケ所こと\/くそんず畑宿大あれにてするがの国わうらい三日とまるはこね山中人馬ともにうづまり三日ほどほりいださんとせしがいでず此へんにて人馬のそんしおほくあり豆州三しまぬまず水野でハの守様御じやう下きんごうきんざい原よし原いハぶちかん原ゆ井おきつ江じり府中のまち\/在々ともに入家のそんじかず知れずふじ野すそ通りたけ下三くりや御てんばこれより甲州ぐんない上の原さるはし西どほり市川かぢか沢身のぶ山御山この辺山々大にくづれ北は愛甲ごほり三ます川村そんずつく井ごほり青のはらとうし川ねずミ坂はし本へんよし野小はらせき野へん又豆州ねぶ川石きれ老若男女そく死海辺真づるあじろいとうこのあたりの山\/大いにくづれ人馬のそんぼう大方ならずあたみしゆせんし湯ばとうにいたるまでことごとくくずれやうやく夜九ツ時ゆりやみしよ人あんどの思ひをなせり
東西二十り余
南北十二三り
余なり
(注、神奈川県立図書館にも同名文書あり、殆ど同内容に付省略)
出典 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】
ページ
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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