(天和三年)
一、五月廿三日、日光山「大」地震、廿四日、同「大」地震、右ハ十七日よりゆりはじまると云々
(欄外追筆)
「此地震にて御宝塔の笠石おち七ツニくだけ、石灯篭ヲミな地へゆりこみ、石垣不残くづれ申候、但御橋より外ハゆらず」
(中略)
(天和三年六月)
一、同廿五日、日光大洪水ニテ大谷(たいや)川まし、御橋のらんかん迄水つく、八間ほど水かさ増る也、
(追筆)
「是ハ五月大地震ニテ山くづれ、谷ヲ埋申故、流の水留リ、大キナル池トナリ候ニ、六月霖雨ニ水ツヨク、セキ留タル所ヲ押切タ□ゆ□」
(欄外追筆)
「于今至て御橋の下七(いまに)間余の水の流、大洪水ヨリ不引、橋ヨリひしゃくニて水ヲ汲程也、下乗の橋ハひた/\水也、是ハ谷のくづれの石土、大ヤ川へ流落テ、七間ほども御橋より下段々に高くなりたるゆへニ、水たゝへて如此か」
(後略)