蘭使険路に遭う、小田原に入る、小田原の地震
(中略)
一行は夕方小田原に着せり、此地に住める日本人の語る所によれば、数年前該地方に大震災ありて、人民は家屋、塔、寺院を失ひし外に、堅固なる城をも喪ひたり、土地は恐るべき裂目を生じ、今の新城の所在に建ち居りし旧城砦及其所在の丘陵も陥没したりと、箱根の麓には元美麗の一市ありしが、一朝震災の為に大にして深き湖水となれり、一行は其側を通過したり、日本人は地震を以て海の猛獣尾を以て海岸を打ち、之が為に近傍の地動くと思へり、
注、本史料「モンタヌス日本誌」はモンタヌスが宣教師からの情報を聞書きしたものである。慶安二年(一六四九)のオランダ(蘭)使節一行の記事である。