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項目 内容
ID S00000484
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1615/06/26
和暦 慶長二十年六月一日
綱文 一六一五年慶長江戸地震(慶長二十年六月一日)
書名 〔翁草 巻八十三 感入録 上〕
本文
○秀忠公地震に動座せられず及び竹千代君の事
台徳院秀忠公御能仰付られ、大名旗本の面々見物し候へと、上意に仍り、各登城す。御能二番過、鬼の清水と云狂言出る半に、俄に大地震ゆり出しける程に、見物の面々互に顔を見合有之処に、弥ゆり止ざりければ、覚えず一二人御庭へ下り、後には伺公の面々過半御座敷より飛下りしに、秀忠公曽て御騒ぎの御様子もなく、扇を御つかひ被成ながら、人々の仰天するを上覧被為成。其頃家光公は未だ竹千代君と申奉り、御年十二、駿河守殿には、国千代君とて十歳なり、御両殿秀忠公の右の御座敷脇に、屏風を隔て御着座成しが、余り地震強かりし故に、竹千代君を青山伯耆守抱き奉り、国千代君を御側衆抱き、御勝手の御庭へ御供し奉る。其時竹千代君御意に、上様には御庭へ御出なされ候やと御尋なり、伯耆守其儀は不奉存と申上られければ、上様にも御出不被成に、何とて如此ぞと御手にて伯耆守を御たゝき被成候よし、寔に栴檀は二葉より芳しと各感じ奉りぬ。秀忠公常の上意に、侍に三つの心得有り、第一に狂人闘諍、第二に地震雷鳴、第三に火事、此三つ不意に有べき事なれば、其時は如此と、兼て工夫してあれば、仰天する事有べからずと仰けるとぞ。去ればこそ彼地震にも、御膝をも直されず御気色常に不変となり。
出典 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】
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