[未校訂]慶安二年七月廿七日卯刻大震ありて其後は時々地震□雨降にて日光山へ急脚をつかはさる又尾張亜相をとはせ給ひ小姓組番頭加々爪甲斐守直澄御使す三家使もて御けしきうかゞはる今より後かく大地震あらんには非番の日日は大手桜田両下馬所にまかり□近の茸を査検し門内にいらしむへし酒井河内忠清招〓和泉守乗寿安藤右京進重長は各邸の門前へ家士健児をさぶらはしめ従者多く召連たる者を抑留すへし(後略)
(日記 水戸記)
慶安二年八月二日この日地震のとき登城すべき事を定め命せらる地震はさらなり何をも非常の事あらんに大手橋辺にさふらひ御用あらば登営すべきは松平右京大夫頼重井伊掃部頭直孝保科肥後守正之酒井讃守忠勝酒井河内守忠清(後略)
(日記 水戸記)