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項目 内容
ID S00000208
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1677/11/04
和暦 延宝五年十月九日
綱文 一六七七年延宝房総沖地震(延宝五年十月九日)
書名 〔万覚書〕平藩
本文
[未校訂]十日
一、昨夜亥ノ下刻御領内浜々へつなみ□候由注進有之
一、浜々つなみニ付今明日之様子御聞届、明後日、飛脚可被遣由被 仰出候、足軽両人申付置候、但辻与一右衛門ニ被遣候筈
一、中ノ作長崎家も大分破損死人も大勢在之ニ付、取乱候間、足軽十人ほと遣候様口々番ニ付置度由吉田久兵衛□御代官所〓申来候ニ付足軽十人申付遣
一、山田伊右衛門〓替りたる魚とて来ル、昨晩富岡ニて富屋舟方共かつほ釣罷帰候節遠あさをおよき廻り候を手取ニいたし候由、何共名を付候もの無之由、申越候、即御前へ御めにかけ候所ニ腹をさき干候様ニ被仰出候新兵衛ニ申渡
一、右近様御用人衆へ書状遣
昨夜浜々大波ニ而家船なと被打取死人も在之候、其付此段江戸へ御月番御老中迄可被仰遣と被仰候□ さぬかなと如何候哉弥江戸へ御注進被成候ハヽ追而御案内可申由申遣候
一、辻与一右衛門浜々大破之様子被仰上候ため十三日ニ江戸へ可被遣由被仰出候、其付今夜通し四倉〓浜方段々様子見届、小名迄見分いたし可参候、委細之書付ハ郡奉行所〓可被参候間、江戸ニ而御挨拶之ため一通り見候而様子承、被参候様ニと申付候、其付御かし馬壱疋、足軽壱人、御長柄之もの壱人、中間壱人申付、今夜八時分与一右衛門方迄急度遣候様ニと申付候 十三日
一、今度浦々大破ニ付難義仕者有之付新中間五十人召抱候由長左方〓申来 十七日
一、中作怪我之者之内弐人果候由、其外ニもけか致候者薬用申度旨願候由、長左衛門申候付而三石分参候様ニ申遣候(後略) (注、このあと施餓鬼等の記事散見)
出典 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】
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備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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