(天保十四年二月)
九日 九日きのふに同じ大将ノ君の北の方(かた)わたらせ給ふとて、あるじとく参上(まうのぼ)りぬ。上(うへ)には御服にて今日(けふ)の神まつりなし、巳のくだちなゐふることいみじ。太郎の童(わらは)ゐ合せたる、ともにひれ伏(ふし)て、たゞかくながらともかくもならむなど言(いへ)ど、おどろ/\しうふりつのり、家どもなりはためくに、え猶もあらずて、廂(ひさし)の間(ま)へともにはひ出ぬ。眼(まなこ)くるめき、かいふしをるほどに、やう/\静まりぬ。皆人おびえて、とぶらひなどす。近き頃かばかりいみじきはなし、と人も言(いへ)り。まことやたちし五日の夜より、申酉の方にあたりて白気たちぬ、と人言(いひ)さわげり。天文博士聞えあげて、火の災なるべしなど言(いふ)はまことか。そは夕日入はつる頃、其気不二の峰(ね)のわたりより東の方へ、帯の如たちわたると言(いへ)れば、こよひ人々見むといふ。昔よりかゝるたぐひを聞(きけ)ど、まさしう見ることなし。何はあれ火の災と聞(きく)、いとおそろし。むかし寛文てふ年に此気たてりとか。昼くだちてはたいさゝかなれど、なゐ弐度ふれり。
十一日 十一日天(て)気つゞき日毎に風吹ぬ。今日(けふ)はさる中にあらし。さらでも町まち火のいましめ厳(きび)しきを、風吹だにあるを、かの世の沙汰のいみじかれば、此ごろわきて鉄杖(かなづゑ)引ありく音(おと)たえまなし。火のしらせをり/\あれど、一日の後は事だちたる南なき。かの気(け)の立昇るを見むとて、夕暮となれば高き屋へ人々のぼりて見れど、きのふも、をとつ日も其頃薄雲おこりてみえわかず、今宵はたいかならむ。まことやけふ加賀の殿(との)なる溶姫君松の殿(との)へわたらせ給へりと聞ゆ。
十二日 十二日昨夜(よべ)かの気を見しに、昨夜(よべ)もいさゝか雲たてど、月あかう照(てり)て、げにほのかなれど西の空に立わたりぬ。其形ち虹に似てたちなびきたるは、日の影の沈みはてぬほど、空にうつりて見ゆるにか、とうたがはる。世の人是をみて火の災ならずば、大雪ふるべしと言(いひ)さわぐとか。いみじきたがひかな、さらば雪をこそ願(ねが)はめと人々いふもはかなしや。
(後略)