(天保十四年二月)
九日 初午
快晴、(中略)今四ツ半時頃大地震、近年ニ覚なし
(中略)
十六日
晴、(中略)
〓去ル九日地震已前〓富士山之方江白気たな引、尤夕刻〓夜五ツ時頃ニは、東へ廻り消ル、地震之前表と評せし所、今以□夜ニ顕れ、浮説さま/\なりといえとも、正説を聞ず
十七日
曇晴、中島雨落石(中略)
〓今夜五ツ時頃、富士之白気を始而見る、民五郎家の上〓築山へ掛たな引、追々東へ廻ル
十八日
終日風ふく(中略)
〓白気今夜も顕る
(中略)
三月大
朔日甲辰
晴曇(中略)
〓此節も白気未タ薄くと見ゆる
(後略)
注、本史料は、武蔵国多摩郡柴崎村(現東京都立川市)の名主鈴木平九郎の自筆日記で、天保八年(一八三七)から安政四年(一八五七)に至る記録である。