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項目 内容
ID S00000136
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1843/03/09
和暦 天保十四年二月九日
綱文 一八四三年天保武蔵西部・相模地震(天保十四年二月九日)
書名 〔鈴木平九郎公私日記〕
本文
(天保十四年二月)
九日 初午
快晴、(中略)今四ツ半時頃大地震、近年ニ覚なし
(中略)
十六日
晴、(中略)
〓去ル九日地震已前〓富士山之方江白気たな引、尤夕刻〓夜五ツ時頃ニは、東へ廻り消ル、地震之前表と評せし所、今以□夜ニ顕れ、浮説さま/\なりといえとも、正説を聞ず
十七日
曇晴、中島雨落石(中略)
〓今夜五ツ時頃、富士之白気を始而見る、民五郎家の上〓築山へ掛たな引、追々東へ廻ル
十八日
終日風ふく(中略)
〓白気今夜も顕る
(中略)
三月大
朔日甲辰
晴曇(中略)
〓此節も白気未タ薄くと見ゆる
(後略) 注、本史料は、武蔵国多摩郡柴崎村(現東京都立川市)の名主鈴木平九郎の自筆日記で、天保八年(一八三七)から安政四年(一八五七)に至る記録である。
出典 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】
ページ
備考
都道府県 東京
市区町村 立川【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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