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項目 内容
ID S00000032
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1782/08/23
和暦 天明二年七月十五日
綱文 一七八二年天明小田原地震(天明二年七月十四日)
書名 〔北窓雑話 巻一〕
本文
東武大地震
元禄癸未の大地震は、翁草などの書に目のあたり見たる所を記したれば、煩々爰に載せず、今は予が正しく見たる所を記すること左の如し
天明二年壬寅七月十四日の夜丑刻、俄に東都大に地震し、屋瓦を落し民家を倒すこと甚多し、然れども忽に止て、諸人安堵の思をなしける処に、同十五日夜戌刻に及て又大に地震し、民家を破倒し、圧れ死する者甚多し、其夜より翌朝に至て大地十五、六度も震動せり、仍て諸人恐れて終夜寝ること能はず、予十五歳の時にて、先考及鍼医原桃源なる者と庭上に雨戸を置き、畳を敷て通夜せり、秋夜快晴にして月光朗に、白露玉を欺けり、始め戊刻の大地震に庭前にありて箱泉水揺動して、水庭上に張り溢れたるに、桃源狼狽してすべり倒れて、天窓を大地にしたゝか打付けたり、先考も予も掌を拍て大笑せり、今これを思へば、電光石火の影の中、先考も没し、桃源も死して跡形もなく、四十五年の古の夢とぞ成にける、此時の地震江戸よりも相州小田原殊に甚しく、城中石垣崩れ、塀・櫓・侍屋敷・民家多破倒す、又箱根山所々巌石抜落て、往来塞り、海辺は津浪起て、人家を漂流すとなん、其の後地震は大小数十度ありと雖も、大地震と名る程の事もなかりしに
(後略)
出典 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】
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