Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J3300403
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及近郊〕
書名 〔瓦版〕
本文
[未校訂][地震方|ぢしんほう]々〴〵[人迯状|にんにけじやう]之事
一[此|この]ゆり[苦労|くらう]と申[者生得信濃国生須|ものせうとくしなのヽくになまづ]の[荘揺初村出生|しやうゆりそめむらしゆつしやう]に
てふ[慥|たしか]なるふら附者ニ付、悪魔ども[失人|うせにん]に[相立|あいたち]、[異変|いへん]
[沙汰|さた]人[諸|しよ]々〳〵[方|ほう]々〴〵にゆり出し申候処めつほう
也、[火災|くわさい]の[義|ぎ]ハ当夘十月二日夜ゟ[翌|よく]三日午の下刻迠と
[相定|あいさだめ]、[困窮|ひんきう]人の[義|ぎ]ハ[難渋無住|なんじうむぢう]と相きハめ、只今御ほど
こしとしてさつま芋三俵はしたにてたべ申候、御救之
義ハ七ケ所ヘ御[建|たて]じめ [御恵|おんめぐミ]に[逢目嶋|あふめじま]可被下候事
一鹿島様[御法度|ごはつと]の[義|ぎ]ハ申に不及お[家|いへ]の[八方|はつぽう]相[傾|かたむか]せ申間
鋪候、[若|もし]此者お[台所|だひどころ]の女中方の[寝息|ねいき]を[考|かんが]ヘ[内證|ないしやう]の[地震|ぢしん]
致候歟、又ハゆり[迯壁落|にげかべおち]致候ハゝ[急度|きつと]したるかふばり
の丸太を以て早速らちあけ可申候
一[愁患|しうせう]の義ハ[一蓮|いちれん]たく[宗|しら]にて[寺|てら]ハ[夜中|よなか]ゆりあけ坂[道性|どうしやう]
[寺市中|じしちう]まつぱたか[騒動院大火|そうどういんたいくわ]に[紛|まぎ]れ御座なく候、御[発|はつ]
[動|どう]のゆりしたん[宗|しう]にてハこれなく候、[若物音|もしものをと]がたつき
ひめわひより[瓦|かハら]をふらし候義ハ無之、万一ゆりかヘし
等致候ハゝ[我等早速|われらさつそく]まがり出[要石|かなめいし]を[以|もつ]てぎうと[押|をさ]ヘ
[付野田|つけのでん]ヘ[宿労|しゆくらう]さしかけ申間敷候、[地震|ぢしん]のたびゆつてむ
ざんの如し
[造作|そうさく]ざん年
[鹿嶋|かしま]の[神無|かミな]月二日
[半性大地割下|はんてうだいちわりげ]水
家なしまご右衛門店つぶれやお土蔵
どさくさほんくらないけんのん橋みじめや難十郎店
お小屋太助
[世並直四郎|よなミなほしらう]様
出典 日本の歴史地震資料拾遺 5ノ下
ページ 1526
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県
市区町村

検索時間: 0.002秒