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項目 内容
ID J3300324
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及近郊〕
書名 〔桜斎隨筆第一巻〕鹿島神宮 鹿島則孝等H12・11・10 阿部修発行(復刻版)
本文
[未校訂]同二年乙卯十月二日陰北風吹寒冷
夜四ッ時大震昨寅年よりも甚しく近年に覚無き震也
江戸中尤甚し時に則瓊在府にて橋本町四丁目津久井屋新三郎方に旅宿なりしが其辺ハ至て震弱く壁なども不落失
火も無し故に其辺の人々鹿島大宮司様被為入候故如斯なりとて甚神威を賞しけると也
鹿島にてハ斎垣内
右ノ方石燈籠弐棊倒レ樓門西面大額此方□ニ而水戸領ゟ奉納
釣り糸
切れ又御饌殿前鉄の用心水の器乃水溢れたり燈火ゆり消
ゆるほとにてハ無し則文ハ禁中御祈玉串水戸へ進献に罷出物語北浦の船中にて格別の事なしと云

ハ直に神宮へ参上諸事指揮致ス神宮ニ而ハ判官岡見信成大長□衛真興只二人のミ見舞参上
出典 日本の歴史地震資料拾遺 5ノ下
ページ 1371
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 茨城
市区町村 鹿嶋【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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