[未校訂](宝暦現来集)山田桂翁著天保二年刊
○文政三辰年虎吉と云男、十五歳の時より天狗に遣われ
し事、能く人の知る所なり、此伝之語に云く、慶長三辰
年大樹公御狩の時、鶴の羽裏に有りし文字迚、怪我なき
よしにて[♠抬♠♠|シャウヨウシャウカク]と書、如此四字をしるして守とす、
此文字何と申事知らず、虎吉に見せしに、是は仙人の常
に唄ふ符字の如きのものゝ中に有る文字、音はショウヨ
ウショウカクと云ふよし語りけり、
或説に云く、昔紀伊国に一人の壮士有り、常に弓射る
事を好み、山野にかけりて鳥獣を射るに、百発百中、
射術誠に神妙也、或時雪中に野鶴を射るに中らず、二
度射るに中らず、不思議なる迚、追鳥にして捕らへ見
れば、其羽に文字有り、此文字の故なるやと、其文字
外の鳥に写して矢を放に、一矢も中らず、扨は疑なく
此文字守りなり迚、壮士常に身を放さず、身終る迄怪
我あやまちなく、今に聞伝へて[♠抬♠♠|シャウヨウシャゥカク]此文字所持
する時は、剣難災難なしと云へり、既に徳本上人も此
事語れける、又天明五年御小姓新見長門守殿、田安御
門外牛が淵え、馬ともに落入しが、何の怪我もなく、
直さま登城被致ける故、何ぞ尊き守にて所持有るやと
上意に付、此文字所持仕候由言上に及けり、誠に奇妙
なりと被仰、諸人え弘め可遣と、数ケ所にて御書せ
被遊けり、又此度京都地震の前、吉田殿より此守出し
ける所、持する人々一人も怪我なしと云へり、