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項目 内容
ID J3201158
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1872/03/14
和暦 明治五年二月六日
綱文 明治五年二月六日(一八七二・三・一四)〔石見・安芸〕
書名 〔加計町史資料編Ⅲ〕○広島県H16・9・30 加計町編・発行
本文
[未校訂]一六 大地震起こる(明治五・二・六~五・二・二八)
「加計町史編修資料」三六号、「東日記帳(一)」
六日朝雲北西行朝少し雨ふり、夕七ツ時ニ大地しんゆり
誠ニ〳〵大ゆり田畑築地共ゆりかへし、所々大双山(ぬ、カ)めけ
近郷不残家ニねるもの無御座候事
七日今日少く地しんゆり、天気よし、今晩も地しん大ゆ
り致幾数ゆり
八日朝地しん数々ゆり、宵もやはり数々ゆり
九日地しんやはり数々ゆり
十日朝地しん少しゆり、今晩夜中地しん大ゆり致し
十一日朝地しんゆり四ツ半時大地しん度々ゆり、宵少し
ゆり
十二日地しん少しゆり
十三日宵地しん少しゆり
十四日今日も地しん数々ゆり
十五日昼ル夜地しん数々ゆり
十六日朝より地しんゆり宵も数々ゆり
十七日朝地しん数ゆり、やはり宵も地しんゆり
十八日今日地しん休ミ、ゆり不申候
石州浜田其外浦々之事、但し二月六日夕形〔方〕の地しん七ツ
時分よりくれ六ツ下刻迄ゆり□ゝき、居宅土蔵数しれす
つなミに而波江引込人死ハ数しれす、但下地じ□より□□
弐丁斗沖江引候而今ニ戻り不申様子、其後取左〔沙汰〕太相分不申

二月十八日朝承り、以上但し石州海へん不残
十九日夕形〔方〕地しん
廿日も地震ゆり、宵もやはり数々ゆり
廿一日宵地しんゆり
廿二日朝地しんゆり、今晩八ツ後より地しん□つ大ゆり
廿三日朝は地しん数々ゆり
廿四日宵地しん少々上ゆり
廿六日今日地震四つ時ニゆり、晩地震数々ゆり
廿七日今日地震数々ゆり、夜ノ口大地震ゆり後数々ゆり
廿八日地震数々ゆり
注 本資料からは、明治五年(一八七二)二月六日島根県
浜田を中心として発生した、いわゆる浜田地震の影響
が町域にも及んでいたことが知れる。この地震による
町域における人的・物的被害については不明だが、浜田
を中心に全壊家屋四千余戸死者五百数十名、負傷者五
百七十余名の被害があったとされる(『浜田市誌』上巻
八七頁)。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 5ノ上
ページ 576
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 広島
市区町村 加計【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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