[未校訂]七月三日 朝曇り
今日「亀吉より承り同人菊屋より承り候よし 六月十
四日京都大地震 堂 宮多く破損 町家は痛みこれ無く
候よし 同日加賀越中辺も大地震人家多く痛み候よし
大坂は何事もこれ無きよし 今に[治定|じてい]咄にも御座無く候
へ共 菊屋にて船頭より承り候よし
先頃中よりの不正雨続き 御国ばかりにこれ無く 道
中筋も大いに荒れ候よし 秋田などは誠に雨続き洪水
神宮寺川出水花立辺 人家流れ候よし 豊嶋辺も洪水城
下も大いに洪水致し候よし その外能代も右同断
七月十五日 明け曇り 雨(中略)
上ミ方大地震 聞書板木番附 諸国大地震ならびに出
火但し 京・大坂・境・河内・播州・丹波その外国々 少々
ヅツ不同はあれ共大体同時同格の大地震 誠に稀なる珍
事なり 六月十四日より同十六日暮方迄 七十三度[震|ゆり]候
よし 大和・奈良六月十四日夜八ツ時より震始まり明け
六ツ時迄少々ヅツふるい十五日朝五ツ時より大地震にて
町家一軒も無事なるはなく 勿論一人も家内に居ること
ならず 皆々野宿又は興福寺 その外広き明き地などに
て夜を明かし 大道往来の者一人もなく皆内を〆寄り
何れに居る共分からず 毎夜〳〵野宿にて目も当てられ
ぬ次第なり
越前福井六月十三日五ツ時より塩町かち町より出火
東西南北共残らず焼失 その朝大風にて九十九橋より弐
百丁ばかり寺院百ケ所両本願寺共焼失 近在凡そ十ケ所
焼失 その夜四ツ時に鎮火 又十四日夜八ツ時より大地
震田地なども泥海と成り 所々の家崩れ死人凡そ四五十
人 誠に〳〵その混乱筆紙に尽し難く 十六日暮れ頃六
十八度ゆる
然れば地震致し候国は山城 大和 摂津 河内 和泉
丹波 伊賀 伊勢 近江 美濃 尾張迄西は播州十三ケ
国なり 越前共十四ケ国なり 大地震致し候前 天気曇
天勝ちにて日も照らず雨も降らず[蒙々|もうもう]と致し候よし