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項目 内容
ID J3200902
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1853/03/11
和暦 嘉永六年二月二日
綱文 嘉永六年二月二日(一八五三・三・一一)〔小田原附近〕
書名 〔山一 金木屋又三郎日記抜粋編〕斉藤昭一解読・編H7・11・10(株)青研発行
本文
[未校訂]同(三月)十八日 朝快晴一天に雲なし
 岩木山終日[能|よ]く見ゆる 昼頃より惣天薄曇り日光底に
見ゆる北[山瀬|やませ]風にて松の音ごう〳〵として居間障子
がゞめきはげし 八ツ過ぎ七ツ頃迄北山瀬にてよわく成
り候え共風寒むし(中略)先月二日巳の刻東海道相州小
田原大地震にて右城下十里四方家蔵相潰れ 箱根山樹木
倒れ大石転び即死之者 千弐百人余怪我人数多その数知
れず 尚大久保加賀守様 御城御櫓崩れ五日迄の内始終
震動いたし 家住居相成り難く野原へ小屋懸けにて居候
よし 漸く七日銘々居宅へ帰り候よし 江戸表は無事に
御座候よし 近来珍しき大地震のよし 此辺三カ一も田
打に入る 打[支舞|しまい]の人もこれ有り候よし
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 5ノ上
ページ 479
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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