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項目 内容
ID J3200899
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1853/03/11
和暦 嘉永六年二月二日
綱文 嘉永六年二月二日(一八五三・三・一一)〔小田原附近〕
書名 〔小山町史第七巻近世通史編〕小山町史編さん専門委員会H10・3・31 小山町発行
本文
[未校訂]嘉永小田原地震
嘉永六年(一八五三)二月二日朝四
つ時(午前一〇時頃)大地震が起き
た。小田原の町を中心としたもので、その北方に被害は
集中した。幸いなことにといっていいのだろうが、嘉永
小田原地震は、天明小田原地震に比べ、小山町方面の被
害は大きいものではなかった。そのことは、小山町域の
村々に残された史料からも窺える。
 被害の記録を残しているのは中日向村である。中日向
村の被害は、居家二軒が半潰れになり、馬屋二棟半と本
家一一軒、地蔵堂が半潰れ、山の神、天神社が潰れ、用
水堰は二四〇間ほど潰れた(「駿東郡北郷村誌」)。嘉永小
田原地震の復興は、小田原藩が、幕府より一万両を拝借
して進められた。
 藩では領内の村々の復興に当たり、郡奉行所を通じて、
村々に藩の御手元金五〇〇両を下しおくこととした。駿
河・相模・伊豆の領内村々に対して金五〇〇両であるか
ら、一か村あたりはわずかな金額にすぎない。小山村で、
一両と銭五〇〇文の「御仁恵金」となり、小山村の家数
四五軒で割り、一軒あたり銭一五一文となった。また、
北筋の村々に下された「御仁恵金」を一覧すると表11―
8のようになる。
表11―8 北筋村々の救済金
村名
下古城村
大胡田村
上古城村
古沢村
下小林村
一色村
用沢村
棚頭村
中日向村
上野村

1分
1両
2朱
1両3分
1分
1両1分
1両2朱
2分2朱
3分2朱
1両2朱

700文
189文
732文
447文
83文
23文
744文
138文
358文
60文
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 5ノ上
ページ 478
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 静岡
市区町村

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