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項目 内容
ID J3200700
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1810/09/25
和暦 文化七年八月二十七日
綱文 文化七年八月二十七日(一八一〇・九・二五)〔男鹿〕
書名 〔昭和十四年男鹿地方震災誌〕S17・4・30秋田県発行
本文
[未校訂]第二 文化の地震
 文化七年男鹿半島に大地震のあつたことは、前述の通
りである。右に關しては秋田郡男鹿大地震記がある。記
して以て當時の状況を髣髴せしめやう。
文化庚午年八月二十七日
秋田郡男鹿大地震記
○ 本書原本は平鹿郡沼館町深谷武治郎氏の所藏と傳
へらる。
○ 本書は幾度も亦寫しせるもの故、多少づゝの誤筆
ありしため、教本を參考にして最も正しと思はるゝ
ものを寫す。
○ 本書は徳川時代の用語等多く使用しありしを以つ
て讀み難き語句は現代語に書き直した。
○ 本書に類似せるものに「男鹿地震」なる書がある。
之れも巷間に多く讀まれる。
○ 男鹿文化地震の參考書には「菅江眞澄著雄鹿の寒
風」に載せられあるも、之を略する。
○ 文化庚午七年は紀元二、四七〇年である。
御自筆
 飛脚差立候に付一寸申し逹候。抑々八月二十七日男鹿
大地震之儀、當四日申越し、十二日着、之を承り誠に以
て驚き入り、何とも申様之れ無く存じ候。右に付村々潰
家及半潰死人多く、並に怪我人夥しく候由、大變の事に
候。右に付醫者三人早々遣し候由、何卒々々怪我は皆々
全快いたし候樣希ふ處故、何分手厚に取扱樣に致す可く
候。右承はり候ては當分出會等も些延引もいたし申す可
く候哉の趣、大和へ内々相尋ね候處、先見合にも及び申
し間敷聞き申し候間、出會も同席等は勤の事故出申候、
承りてより晝夜地震のこと既に心にはなれず、何にも手
に付き申さず相暮し候、右の我等存慮の趣は、よく〳〵
役人共並に一統へひゞき候やう致し度候。呉々も隨分手
厚の取計らひ專一に存じ候。
右九月十六日江戸立つ御飛脚便り年寄中迄御下し遊ばさ
れ候御書なり。
時に文化七庚午九月二十五日、種人參百六十五匁差し下
され候兩四匁三分より。
申渡 郡奉行
此度男鹿村々變事の儀、早速江戸表へ申し上げ候處、深
く 御苦勞に思召し怪我人の内重き傷所、又は老人悴な
ど療治中氣力届き兼ね候ものも之れ有る可きや、右樣の
ものへは人參下し置かれ候間、落ち無く吟味行き届き候
樣申し渡す可き由仰せ出され、態々御飛脚を以て人參差
し下され候。有り難き思召の旨、村々小人共まで洩れ無
き様早々申し渡さる可く候。以上
時に文化七庚午九月二十五日年寄家より郡奉行關善右衞
門へ仰せ渡され、同日郡方見廻り役篠田新左衞門、齋藤
嘉兵衞へ右書附相渡され、男鹿村々へ右書附申渡し候樣
に仰せ渡され候。右兩入二十六日久保田出立、男鹿へ申
し渡しに罷り越候。
右御下し人參は神保三清仰せ付けられ、同人人參持參同
二十六日久保田出立男鹿へ罷り越し候。
鮎川村
一 潰家 八軒
一 半潰家 六軒
一 大破損家 十一軒
一 潰小屋 一軒
一 死人 一人 男七歳以下
脇本村
一 潰家 百六十一軒
一 同寺 四ケ寺
一 同修験 一院
一 同寺家 二軒
一 同半潰家 十七軒
一 潰土藏 六ツ
一 半潰土藏 一ツ
一 大破損土藏 八ツ
一 潰小屋 四十五
一 半潰小屋 四ツ
一 大破損小屋 三ツ
一 死人 十四人
内一人尼 内一人 女二十五歳
内一人 女六十歳 内一人 女六十三歳
内一人 女七十三歳 内一人 女四十三歳
内一人 女七十四歳 内一人 女二十九歳
内一人 女七十五歳 内三人 男七歳以下
内二人 女七歳以下
一 怪我人 十九人
一 馬 一疋 怪我殞
瀧川村
一 潰家 五軒
一 半潰家 九軒
一 大破損家 七軒
大倉村
一 潰家 三十九軒
一 半潰家 七軒
一 潰小屋 六ツ
一 死人 三人
内一人 男五十四歳 内一人 女七十歳
内一人 女七歳以下
一 馬 三疋 怪我殞
一 馬 一疋 怪我
百川村
一 潰家 四十三軒
一 同寺 三ケ寺
一 同修驗 一院
一 半潰家 六軒
一 潰土藏 二ツ
一 半潰土藏 一ツ
一 潰小屋 三ツ
一 死人 四人
内一人男七十二歳 内一人 女七十九歳
内一人女七十六歳 内一人 女五十一歳
一 怪我人 八人
福米澤村
一 潰家 三十軒
一 同修驗 一院
一 半潰家 四十二軒
一 潰土藏 一ツ
一 同小屋 三ツ
一 死人 二人
内一人 男八十歳 内一人 男三十一歳
一 怪我人 二人
町田村
一 潰家 二軒
一 大破損家 一軒
谷地中村
一 潰家 十七軒
一 半潰家 四軒
一 潰土藏 一ツ
一 同小屋 二ツ
一 死 一人 男七歳以下
一 馬 一疋 怪我殞
仲間口村
一 半潰家 一軒
一 大破損家 六軒
一 半潰土藏 一ツ
一 大破損土藏 二ツ
一 潰小屋 一ツ
一 半潰小屋 一ツ
濱間口村
一 潰家 七軒
一 半潰家 四軒
一 大破損家 四軒
一 同土藏 二ツ
箱井村
一 潰家 十五軒
一 同寺 一ケ寺
一 同修驗 一院
一 半潰家 八軒
一 大破損家 三軒
一 半潰土藏 一ツ
一 潰小屋 二ツ
一 死人 一人 女二十二歳
一 怪我人 一人
一 馬 一疋 怪我殞
石神村
一 潰家 二十五軒
一 半潰家 十一軒
一 潰土藏 一ツ
一 半潰土藏 一ツ
一 大破損土藏 一ツ
一 同小屋 二ツ
一 半潰板小屋 一ツ
一 死人 四人
内一人 女六十七歳 内一人 女六十五歳
内一人 女四十九歳 内一人 女七歳以下
一 馬 一疋 怪我殞
金川村
一 潰家 十一軒
一 半潰家 四軒
一 怪我人 一人
樽澤村
一 潰家 二十九軒
一 半潰家 十一軒
一 潰土藏 三ツ
一 半潰土藏 一ツ
一 潰板小屋 一ツ
一 潰小屋 六ツ
一 死人 一人 女七十八歳
一 怪我人 七人
一 馬 四疋 怪我殞
一 怪我馬 二疋
鵜木村
一 潰家 二十三軒
一 同寺 一ケ寺
一 同修驗 一院
一 半潰家 三十五軒
一 潰小屋 一ツ
一 半潰小屋 三ツ
本内村
一 潰家 六軒
一 半潰家 十七軒
一 同土藏 一ツ
浦田村
一 潰屋 五十五軒
一 同寺 一ケ寺
一 半潰家 二軒
一 潰土藏 一ツ
一 同板藏 一ツ
一 潰小屋 七ツ
一 死人 二人
内一人 女六十七歳 内一人 男七歳以下
一 怪我人 十二人
一 馬 一疋 怪我殞
野石村
一 潰屋 四十七軒
一 同修驗 一院
一 半潰家 十軒
一 破損家 九十一軒
一 潰土藏 一ツ
一 半潰土藏 三ツ
一 破損土藏 三ツ
一 死人 三人
内一人 僧 内一人 女六十三歳
内一人 七歳以下
一 怪我人 三人
舟越村
一 潰家 百五十四軒 内四軒燒失
一 同修驗 一院
一 半潰家 六十軒
一 破損家 一軒
一 潰土藏 一ツ
一 破損土藏 二十二
一 半潰小屋 四ツ
一 破損小屋 十二
一 死人 六人
内一人 女三十一歳 内一人 女六十八歳
内一人 女七十歳 内一人 女五十六歳
内一人 女六十八歳 内一人 女七歳以下
一 怪我人 七人
琴川村
一 潰屋 八軒
一 半潰家 四軒
一 破損家 二軒
一 同土藏 二ツ
一 潰小屋 一ツ
一 半潰小屋 一ツ
天王村
一 潰神社 一宇
一 潰屋 二十五軒
一 同修驗 一院
一 同社家 一軒
一 半潰家 二十九軒
一 大破損神社 一宇
一 潰土藏 一ツ
一 半潰土藏 一ツ
一 破損土藏 二ツ
一 潰小屋 一ツ
一 破損家 百八十七軒
比詰村
一 潰家 四十五軒
一 半潰家 十一軒
一 破損家 十四軒
一 半潰土藏 一ツ
一 同板藏 一ツ
一 潰小屋 九ツ
一 死人 三人
内一人 女四十歳 内二人 女七歳以下
一 怪我人 八人
仁井山村
一 潰家 七軒
一 同社家 一軒
一 破損家 十八軒
一 破損土藏 一ツ
一 潰小屋 二ツ
一 馬 一疋 怪我殞
中石村
一 潰家 五十九軒
一 同修驗 一院
一 半潰家 十七軒
一 破損家 二十三軒
一 潰土藏 二ツ
一 同小屋 十
一 半潰小屋 二ツ
一 破損小屋 十
一 同板藏 一ツ
一 潰板藏 一ツ
一 死人 四人
内一人 女八十三歳 内一人 女五十歳
内一人 男七歳以下 内一人 女七歳以下
一 怪我人 四人
一 馬 一疋怪我殞
舟川村
一 潰家 一軒
一 社家 一軒
一 半潰家 三軒
一 破損家 十三軒
一 半潰土藏 二ツ
一 破損土藏 一ツ
飯ノ森村
一 潰家 十九軒
一 同小屋 一ツ
一 怪我人 二人
福川村
一 潰家 十二軒
一 半潰家 十五軒
一 潰土藏 一ツ
館村
一 潰家 五軒
一 半潰家 一軒
一 死人 二人
内一人 女十二歳 内一人 女七歳以下
拂戸村
一 潰家 四十八軒
一 半潰家 十四軒
一 潰土藏 四ツ
一 半潰土藏 一ツ
一 潰板藏 三ツ
一 同小屋 三ツ
一 死人 七人
内一人 女八十歳 内一人 女四十九歳
内一人 女二十一歳 内一人 女九歳
内三人 男七歳以下
一 怪我人 三十八人
角間崎村
一 潰家 十六軒
一 修驗 一院
一 半潰家 二十二軒
一 潰土藏 一ツ
一 半潰土藏 一ツ
一 潰小屋 二ツ
松木澤村
一 潰家 十軒 内一軒燒失
一 半潰家 十四軒
一 死人 三人
内一人 女二十一歳 内一人女二十歳 燒死
内一人 男七歳以下 同斷
一 右總潰家合 九百五十八軒
内六軒 燒失
内一軒 社堂
内十軒 寺
内十軒 修驗
内四軒 社家
一 牛潰家合 三百八十五軒
一 破損家合 三百八十一軒
一 潰土藏合 二十六
一 半潰土藏合 十九
一 破損土藏合 四十五
一 潰板藏合 五ツ
一 半潰板藏 一ツ
一 潰板小屋 一ツ
一 半潰板小屋 一ツ
一 潰小屋合 百十三
一 半潰小屋合 十八
一 破損小屋合 二十七
一 怪我人合 百二十二人
一 死人合 六十一人
同男 十七人 内一人 僧 内四人 男内十二人 七歳以下
内女 四十四人 内一人 尼 内三十四人 女内九人 七歳以下
一 怪我馬合 三疋
一 怪我殞馬合 十四疋
寺院社家
一 寺 十七ケ寺
内八ケ寺 潰 内六ケ寺破損
内四ケ寺 破損 死人二人 内一人 住持内一人 小僧内二人 怪我
一 修 驗 七院
内五軒 潰
内二軒 損
死 人 一人女 外三人女怪我
一 寺 家 四軒
内二軒潰 内一軒半潰 内一軒損
一 十王堂 十四軒
内九軒潰 内五軒半潰
一 社 堂 四十六
内十三軒潰 内二十三半潰 内十軒破損
山本郡之内
一 潰 家 二軒 鵜川村
一 同 一軒 川戸河村
一 半潰家 二十一軒 淺内村
一 破損家 二十七軒 同村
一 潰 家 七軒 同村
一 潰家 五軒 濱田村
一 半潰家 七軒 同村
一 潰 家 八軒 大口村
一 半潰家 四軒 同村
一 潰 家 二十八軒 芦崎村
一 半潰家 二十三軒 同村
一 大破損家 十軒 同村
合 潰家 五十一軒
半潰家 五十五軒
大破家 三十七軒
右の分男鹿同樣に書上候樣に仰せ付けられ候に付、此處
へ印置候米八石一斗五升五合、十日分御救ひ下し置かれ
候。郡奉行吉川十郎右衞門殿、吟味役熊谷治左衞門擔ふ
所なり、御檢使は誰致し候や相知り申さず候。
男鹿村々變事之次第
一、舟越村八郎社は村居より五町ばかり湖水の邊に御座
候て、年々七月十五日祭禮、神主天王村鎌田筑前正別
當同村修驗宝鏡院に御座候。今年祭禮常例の通り湯立
等も仕候處、湯花大に惡しく釜を換ひ候得共又々惡し
く候に付其旨肝煎杯へ知らせ御座候。
一、船川村鎭守藥師年々八月八日祭禮、神主同村伊勢、
正別當南平澤村大學院、此祭禮にも湯花宜しからざる
事之れ有り候。
一、八月初旬頃より湖水の色變り、或は赤く或は黑く又
は清く至つて澄み候事も之れ有り、度々色の變り候を
見居り候段、漁師共噺し傳へ之れ有り候。
一、同頃より湖中藻草の垢夥しく流る。其の形、濁酒の
粕の如く色黑めを帶び水底の藻草の根に付てある垢に
似たり。此の品は曾つて流るゝことなき物ゆへ、見た
る者不思議のことに思ひ居り候。
一、八月初頃より鰡と申す魚、多く死して湖水に浮き申
し候。其の中にも小魚は死なず、至つて大なる名吉計
りに候。此の湖水には魚色々住み候得共外の魚死なず
候。
一、八月二十一日夜中に箱井村の中を歌ひ通りし者あり、
其の聲甚だ流麗にして何に歌と申す事を知らず、兎角
野聲村歌にあらず、同村肝煎何となく氣にかゝり居候
處、翌二十二日四ツ時の地震にて鎭守諏訪明神の石の
花折れ損じ、同村料嶽院の寳筐院塔頽る。
一、同二十三日夜同村肝煎の屋敷側を鈴付馬の音して通
りし故、翌朝近所のものに噺合候得ば我も〳〵聞きし
と云ふ。此道往來の道に之れ無く若しや村の内に鈴付
馬牽き罷り通り候ものも有之候やと相尋ね候得共、鈴
は誰も之れ無く奇異の事に思ひ居候處、二十七日の地
震を諏訪明神の御話なることを後に思ひ合はせ申し
候。
一、二十四日暮頃より西北にあたり光あり。中石村より
見る者も西北の海上にあたり其の光り雷にもあらず尢
も其處定まらず、海上の雲に映じてすさまじく見え申
し候。
一、同二十七日湖上に漁して居るに、頻りにゆき〳〵致
候故地震と心得急に船を漕ぎ候得共一向に船は走ら
ず、何となく水は重く澁きやうにて船自由ならざるよ
し、漁師共の噺しに御座候。
一、潟の水底に沙の湧出し候事所々に之れ有り候。又細
杭は水底土中へ三尺ばかり刺し込み候杭皆々抜け上り
申候。
一、抑二十七日八ツ時過一震來るや否や、立てるものは
倒れ、起きる者は轉ぶ、其中に家は必止々々と潰れ實
に説く事は遲く潰るゝことは早く、親は子を顧みる事
能はず、子は親を救ふ能はざるは此時の勢なり、幸に
萱葺の屋根故梁や鴨居等の下にならざるものは恙な
し、家一軒に五人六人家の下になりしもの皆々恙なき
の類あげて記し難し。されば壯夫は屋を穿ちなどして
出るものもあり。老若婦女は外より掘り出され、兎角
して命助かりしものは不思議と云ふ。此の一震或は晝
飯の頃又は夕飯の頃なれば、人馬死亡並に火災も多く
之れ有る可く候。せめて時刻能き故人馬多く山野に罷
り在り、火も稀に御座候故火災も之れ無く候。扨て山
野に居候ものは一時に飛倒され、田中に居候ものは轉
げて泥にまみれ、山はめり〳〵鳴り渡り、或は崩れ或
は樹木相合ふさま恐ろしとも云はんかたなし。村居を
見れば家はダワラ〳〵と將棊倒し、其の潰るゝ勢に煤
埃ばつと立揚りて煙の如く、是を火事と見候も無理な
らす、誠に言語に述べがたし。
惣じて鵜木邊は寒風山に當る。中石箱井邊は西北の海
上にあたる。瀧川安善寺は西南北ノ浦邊にあたる。南
磯舟川邊は本山にあたる。されば家々も大形は西方へ
頽れ申し候。始は西より東へ傾き、再び西へ震返りし
とき潰れしなるべし。
山崩並變化
一、寒風山の頂は別條なし、半より下澤々谷々土地片底
の處は缺け下し、惣じて右の勢ひに準じ地割れ或は崩
れ諸方夥しく之れ有り候。
一、生鼻西は八幡崎(比詰村分より)東は天禮坂(脇本
村の上)の下迄は、總て巌崖壁立水際凡そ一里程の處
崩れざる處なし。就中赤平と云ふ所高さ五十丈餘、此
處は涌本五郎修季の城跡にて、高き處を一の臺其の次
を二の臺と唱へ申し候。波打際の岩壁故連々缺け崩れ、
二の臺の内纔十間位も之れ有り候處、此の度二の臺と
共に五十間程押崩され、海上へ三百間程突出し申し候。
惣じて此邊水際へ覆ひかゝり候絶壁崩れ候故、其下片
押になだらかに相成申し候。此頃歩行なれば往來に相
成申し候。追々馬の往來も相成り申す可く候や。併し
雨天の節は歩行迚も往來相成らず候。
一、天神坂より羽立村(比詰村方)迄凡そ一里餘の山道
地割缺崩等二十間と地續き候處之れ無く、當分は馬往
來仕候得共、大雨等にては追ひ〳〵崩れ申す可く候哉。
一、金川村舟川村の間の山道を天下道と云ふ、高き處は
十五丈位、低き處は三四丈凡そ長さ五六丁の處缺き崩
れ、海上へ七八間押し出し申し候。
一、安田村(琴川村枝郷)より海際六七丁、苗代澤(濱
間口分)其山高さ二十丈程、幅五十間厚さ六七間押し
崩れ海上へ五十間位突き出し申し候。
一、苗代澤より三四丁有無澤(濱間口分)高さ四五丈幅
三四十間厚さ二三十間崩れ海上へ三十間位突き出し申
し候。
一、浦田村かに澤の上高さ十丈餘幅三十間程澤間堤へ崩
れ落ち申し候。
一、田谷澤村の佛澤北の方山の片平薄くそげ二ケ所缺け
落ち申し候、一ケ所は高さ十四五丈幅四五十間其土石
澤奥を埋む。又一ケ所は高さ二十五六丈幅六七十間此
の崩れにて澤間の田地七百刈の分無殘埋り申し候。
惣じて澤間は泥土下より湧上り、山の岩石上より落ち
候双方の勢にて泥出で石澤下も百五十間位も押し出し
申し候。其の泥土兩方の山根を押し草木を靡けし跡今
見るに地面より七八尺高き處に之れ有り山の崩れより
地面へ押し出し申し候。
一、寒風山の半麓凹みし所に玉の池と云ふ池あり、水中
の草こと〴〵く根より抜け皆々岸へ寄せ申候。又其の
下の堤も水底より土もり出で小島になる其の勢に押し
破られ申候。
一、鵜木村堤五ケ所押破れ其の下の田地水に流され、稻
根ぬけ山根の木の枝にかゝり之れ有り候。
惣じて澤々山崩れ堤々の損じ並に關根道橋の損じ其の
數計り難く候。
一、湯本村熱湯二十七日地震後一滴も出申さず候。
一、飯森村岩清水(同村田地の水元)の出水は地震後不
足に相成り候。
一、鮪川村瀧の頭出水地震後多く出る。
一、潟緣通り天王、舟越は替り事之れ無く候。
拂戸村より福川村、鵜木村、松木澤村、本内村邊迄地
形大抵三尺位ももり上り申し候。
右者安藤又兵衞吟味役にて村々へ申し付け、右の
通り書き上げ申候。見廻役宮本國助、飯塚喜六郎
見廻役加勢後藤百平、右三人取纏の上清書仕候て
御用所へ書上候。同所にて書き直し江戸表へ御登
りの爲相成り申し候。時に文化七庚午九月
 男鹿村々怪我人病人等神保三清、神保元節にて
取り扱ひ申し候。
文七庚午八月中男鹿大地震地變の事
七月晦日大風辰巳より吹出し午の方まで吹廻り、此日回
船戸賀村にて破舟一艘井川村へ乘上り候。船一艘潟水夥
しく押上り濱田村邊六七十間ほども水押上り、もくず一
圓に稻に押しかゝり、彼のもくずを田の中處々に森りつ
み重ね候由、此の大風より鰡幾千萬と云ふ數を知れず死
し、潟中船の往來ならぬ程にながれ、其れより岸へ押し
上り、或は汚れ、或は喰にも相成る魚もまゝ之れ有り、
取りて食したるものゝ申すには、常の名吉よりは油至つ
て多く有すと、二尺計りの魚、岸へ夥しく押し上りし故、
大根の積みたる如く、此魚外の魚よりは氣早にて網にも
かゝらぬ魚故、ハツキリと云ふ仕かけものにて漁する程
の魚、か樣の死やう未曾有の事とて其頃申し合ひり。或
者の言けるは、銀山のキラと云ふものゝ流れたる故に此
の魚死したるなど、此の説信ずるに足らず。八郎潟へ銀
山よりの川筋はなし、されば此の地震の前祥なること今
思ひ合せり。
地震始めて發すること
八月十六日夜四ツ時震り出し、其の震りやう其の先三十
一年の六月十八日の地震にならへり。其の時鵜夥しく飛
び來りへんぽんする事暫くは止まず。此の鳥角間崎村の
稻荷林に塒すること年あり、此の林より飛び出し潟へ今
魚を食ふ。光天に出て夕陽に彼の稻藤林に歸ること日々
に其の時を失はず。然るに此の地震の後何國へ引取り候
や一羽も見えず、皆々申合けるは、此の烏鵲とて謂のあ
る鳥と聞きつる。か樣に塒を去るは此の上にも變もあら
んやと安き心もなけれども、天變地變の事は人間の力に
は及ばぬ故、たゞ心中を苦しめ居けるのみなり。此の日
より日に二度三度少しづつ震りたるゆえ、七年以前鹽越
の大地震のことを承るに、三十日程震りて後大變を生じ
たるよし、此の例に似たりし故、晝夜安き心もなく假小
屋などの心がけするもありけれども、さまでの事もある
まじきとて打ち止みぬ。
再び地震の事
同二十二日晝四ツ時又震り出し、此の震り出しは十六日
の地震に倍せり。凡そ夜中までに五十度餘りも震りける
なり。
此の前後二十一日の夜、月を拜するに半月影重りてふた
へに見えたり。
此の夜又北辰星の顯れざること天變なるか知らず、十六
日より少くなりとも震らぬ日はなし。
同二十六日の暮ほど日の影二つあらはれ、眞の日は海に
落ちかゝり、今一つの日は赤神山山巓にかゝり、其の光
紫にて眞の日は既に沒すれども、彼の日は彌々紫光りを
ましけるなり。此夜地震の雲氣あらはれけれども遂に無
事にて夜明けにき。
大地震の事
同二十七日の晝八ツ時、予獨り樂老亭にて油揚けんちん
と云ふ料理して居りける時、俄に震り出したるに障子は
づれて中庭に落ちしさま鳥の飛ぶよりも速かなり。是を
見て大いに驚き障子と共に中庭に落ち下り見るに、地の
われるありさま嶽下の雪の春日にくだくるが如し。是に
居ては地中に落ち入らんと思ひ山の上に登らんとするに
のけさまに打ちかへされ、やうやく芝にむしり付き山に
登りけるが、弟子子供八九人聲々に下り給ひと云ける故、
坂の一二尺もわれたるを漸々這ひまわりて山より下りて
子供等を見るに、机板を打返し其の上にあがりて居たる
智惠、子供にはまさりたりと後に感じあへり。夫より隣
にありける田屋へかけつけ見るに、必止と潰れけるが下
人共二人居て怪我なきこと悦び合へり。馬の事を尋ぬる
に馬四疋彼の潰れ家に在るを屋根をぬきやう〳〵牽き出
し、それより火の事を尋ねしに焚きてありと、急ぎ下人
を馬を出したる穴より入るを消すに水を乞ひがたけれ
ば、下人小便にて消えたりと申す。時によることなり。
其處より本宅へ行く道すがら田は關へかけ、山は崩れ、
樹木共に崩れ落ちたる有さま、言語に述べがたし。村に
入りて見るに、屋根潰れ或は半潰れ潰れたる家の内に老
若男女泣きさけぶありさま膽消え、心惑ひして此の上は
生死計りがたからんと、思ひけれども人々の難を救はば
やと、潰れ家の内にあるもの共を屋根より掘り出し、或
は焚さしたる火をしめさせ、力失ひ氣失ひし子女をいさ
めさとし、其夜は塵塚の上に假小屋をしつらひけるが、
夫より震りし事又片時も止まず、さしもの塵塚二三尺埋
め、左右前後より水わき出で、其の夜は寢もやらで村中
まわりて人の氣を助け、翌二十八日則ち御訴に出る。
地變の事
同二十八日八郎潟干潟となりて鮒はぜ海老などの小魚夥
しく水にはなり有りけるに、鷺烏鷗の類群りけるを見て
村民走り出て魚を多く拾ひ歸れり。是全く湖の干たるに
非ず、土地のもり上りたるものなり。白沙に浮上げたる
は百歩遠瀨三百歩程なり。村の後の村山多きに割れ樹木
まゝ倒れ落ち、山常よりは五尺計りもひくゝなりたりと
見えて、麓にありし木共の緣、峯下にありけるが、今は
峯に並ぶ程になりけるなり。所により五六間木ともに崩
れたるもあり、小杉など植立てし所崩れ土中に埋みける
もあり、或は折れゆがみて生長しがたきもあり。此の時
又天變あり、俗に云ふ夜明の明星、と唱ひし星、其の頃
より今に至るまで顯れぬこといぶかし。又ためしたる事
あり、二十八ケ年前卯の年は蝿一つも無かりしかば、天
下一統の飢饉、信州淺間山の大變有り、今年蝿一つもな
ければ甚だ之をあやぶみしに、或者の云ひけるは、去年
の寒氣嚴しき爲に蝿の子死したりなど是左ある事に思ひ
けるが、今次の大變に至れば是皆前表なるべし。其の頃
鹽越より参りたる者の咄なりとて、或者の申しけるは、
雉の鳴かざること、山の鳴動は大地震の前表なりと、果
してしかり。
寒風山へ御札建て置かるゝ事
九月十日四民安穩の爲め寳鏡院十ケ院に於て一七日の御
祈禱阿遮羅王御修方は一度仁王護國般若經百部地魔退散
の板札御建立有りければ難村三十一ケ村の長共を召され
ければ誠に 上の御慈悲も猶あまりあり。余も御惠の有
り難さに登山の折から狂歌をかくなん侍りて
動かざる鹿島の神の要塚萬歳樂を祈るなりけり
治まれる千秋樂や菊の水
樂老亭
右鵜木村大淵常右衞門記し差上げ候本書のまゝ之を寫
す。
深谷基孝寫之
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 5ノ上
ページ 327
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 秋田
市区町村 男鹿【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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