[未校訂]寛永の地震
一六三三(寛永一〇)年正月二十一日、
「大地震。震源地は房総半島南方の海底。
小田原城矢倉、門塀などことごとく破壊、民家倒壊多く、
圧死一五〇名、箱根で山崩れ、熱海に津波が襲来した」
(国立天文台、一九八一)。栗原(一九八九)によると、
一月二十日未明、関東に大地震、小田原城下潰滅、民家
一屋も残らず(一月二十一日にも相模地方に地震。小田
原城、民家被害とある)。また、二宮尋常高等小学校(一
九四〇)によると、「正月二十日、小田原城主稲葉美濃守
は、大手の石壁にはさまれて圧死した」。ただし、一月二
十日の地震については、国立天文台(一九八一)には記
録がない。