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項目 内容
ID J3100779
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1923/09/01
和暦 大正十二年九月一日
綱文 大正十二年九月一日(一九二三)〔関東〕
書名 〔地福寺日並記〕○埼玉県和光市白子、住職鎌田亮中氏著S60・7・20 和光市史編纂室編、同市発行
本文
[未校訂]一日 朝来風雨荒模様 午前十一時四十分俄ニ大地震揺
り廻り十四回あり、本堂壁二間崩落全部ヒビ入リ、花
瓶大位牌タオル損害大なり、墓地石碑三分ノ一タヲレ
地福大半タヲル、鎮守ノ鳥居崩レ、新倉ニテ二、三家
屋崩レシ由、此夜警戒ノ為消防夫総出ニテ終夜警戒、
地震ト同時ニ東京方面大火事夜ニ入リ益盛なり、焼失、
本郷、下谷、神田、日本橋、京橋、本所、深川、大半
焼失ノ由、良賢夕方帰ル
三日 晴天 良賢ヲ連レ東京へ各所ノ見舞ニ行仕度中、
一番ニテ鈴木老母外九人避難ノ為来ル、東京行中止ス
四日 晴天 良賢、正作、光治、周治同道東京へ行、林
町新坂屋、上ノノ山本、浅草西川鈴木ノ焼後ヲ視察シ
七時過板橋ヨリ乗車帰院、震災以来不逞鮮人、主義者
立廻り昼夜警戒さわがし事なり、帰院疲労甚ダシ
六日 晴天 警戒団へ慰労金ヲ送ル
七日 曇り 三日より滞在ノ避難者朝岡コト、吉田ミイ
北千住并松山へ行、荒井正作東京へ行夜ニ入リ帰ル、
夜十一時過地震あり
廿七日 晴天 地震三回あり
(十一月)廿二日 半晴 前一時過二回地震 十二時前一回アリ
廿三日 半晴 午前十一時地震あり
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ下
ページ 1873
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 埼玉
市区町村 和光【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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