[未校訂]268
(一八五五)安政二年十月
江戸大地震にて山岡屋敷・土蔵大破につき修復手伝
金上納達書
(封紙)達書
阿多野新田江
覚
一当月二日夜当地稀成大地震ニ付、為伺御機嫌出府致し
候処、 御恙も不被為在恐悦之旨尤之事ニ候、然ル処
御屋鋪御住居向殊ニ御土蔵以之外御大破ニ付、此度冥加
之ため御修復手伝として、高百石ニ付金三両宛之割合
を以、村々ゟ上納金仕度願上候趣達 御聴候処、一同
恐入、今般奇特之到 御喜悦思召、当節御物入多之折
柄ニ付、願之通上納金被 仰付、早速御用途ニも御差加
可被成候間、其段惣代より申通、早々上納方可取計候
右之段被 仰出候間、申達候、以上
卯十月
森財次郎㊞
堀周蔵㊞
駿州駿東郡
阿多野新田
名主長右衛門殿
(阿多野 喜多淳隆氏蔵)
[解説] 阿多野新田村は当時、旗本山岡氏の知行所だっ
た。安政二年十月二日夜、江戸を襲った大地震により、山
岡氏の家屋敷・土蔵も大破した。そのため、その修復手伝
いとして高一〇〇石につき金三両ずつの割合をもって上
納したい旨、知行所村々より願い上げたところ、許可され
た。そこで、山岡氏の知行所支配担当役人の森財次郎と堀
周蔵が阿多野新田村の(喜多)長右衛門に早々に修復手伝
金上納を取り計らうよう申し達している。