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項目 内容
ID J3100104
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及関東一円〕
書名 〔大利根町史史料編(上巻)〕 ○埼玉県大利根町教育委員会編H12・3・30 大利根町発行
本文
[未校訂]123 安政二年(一八五五)十月
大地震の折権現堂堤の儀ニ付達覚
(間口 田村義孝家蔵 No.八)
安政大地震によって、江戸城の一部が崩れたほか、
幾つかの川が床高になったり、堤が沈んだりという
被害が生じた。この資料では、権現堂堤の修復、保
持に努めるよう説いている。
御勘定様より被 仰渡覚
古昔より申伝ニも無之、今般稀成大地震ニ付、御城大手向
より御櫓御目付ニ迄悉震崩、其外諸国川々ハ床高ニ相成、
堤は減沈、堅横広太ニ相割、於 御上様ニも被為遊御心配
候御時節ニ付、中々諸国川々御普請向御慈清も難被遊候
□、武州葛飾郡幸手領権現堂堤之儀は御府内ニ而は大切□
□之儀ニ付、其儘捨置候而は□年満水之砌りハ果而急
破水難□眼前之事、左候而は御府内江悪水一円と押入、并
堤下村々数拾万石之水腐ハ勿論、人□命ニも相掛り候は
必定ニ付、其方共江不易容時節ニ付、往昔より聞伝ニも無之
程之義ニ候得は、幾々其方共之切気ニも相残不一ト方時節
ニ付、擲身命御場所江出会御因堤丈夫ニ仕立、御上様ハ勿
論下万民之愁無之様□而請勤相励、御奉行所沙汰等人足ニ
至迄精々致教諭、御奉行所沙汰等毛頭無之様相慎、数拾
万石之助ニ相成候様□□□段被仰渡候儀ニ今般被仰渡、御
趣意之趣御国恩相感事候上は、逸々儀呉難有奉感服候ニ
付、難有御請印形奉差上候、如件
安政二卯年十月廿六日
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ下
ページ 1428
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 埼玉
市区町村 大利根【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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