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項目 内容
ID J3100046
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及関東一円〕
書名 〔中川藏人政挙日記〕藤堂藩史研究会(膳写印刷)
本文
[未校訂](安政二年十月)六日(前略)左近参差障御用向出来候由
即対談之処 去ル二日夜四時頃江戸大地震諸処出
火翌三日四時頃鎮火之趣承候旨関宿川北久左エ門
ゟ注進之書付持参直ニ申上候処御屋敷辺之様子相
分不申候へ共御近所町名モ有之御不安之御義彼是
尊考中阿曽平格走来飛脚や共注進書持参其中ニハ
下谷云々も有之甚以御不安ニ付直ニ御供揃御帰被遊
四天王寺山辺迠御送申上登、密蔵院前迄御送申上
山荘帰組士一統ヘ御側向残者ニ而酒為給雲州家半
蔵家追々帰引續組士一所ニ罷帰直ニ参 殿今日之
御礼申上夫ゟ急御飛脚仕立御用向取扱候所四時ニ
至江戸ゟ之無時御飛脚到着余程之大震諸処出火一
旦ハ廿八所燃上り候由ニ候へ共上々様御機嫌能上
野寒松院へ御立退も不被遊両御屋敷大分破損怪我
人も有之候へ共火事ハ練塀小路ニ而止り先御機嫌之
御様子迄言上ニ相成一統難有安心恐悦申上九時頃
退出右之次第折角山荘へ御入殊ニ御書も被成下候
思召之所右之次第残念至極也
九日 午前後過而入湯江戸表震災火難之様子追々相聞前
代未聞之事共也
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ下
ページ 1271
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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