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項目 内容
ID J3000973
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔嘉永聞観史下〕大阪府立中之島図書館
本文
[未校訂]諸邦大地震大洪波冬の記
生説こゝに再 憂世の形勢の無墓ハ 昨日に変る飛鳥川
我世誰ぞ常ならむ 万物何も夢幻泡影 色則(ママ)是空の理を
他をも自も不知バ 思ひも得ざる禍の 眼も当られぬ[変|へん]
[怪|よう]に 万人断膓歎慨せり [後前□是|そはのちにしてこれよりさき]当嘉永七年寅六
月十四の夜諸国大に地震 人家の損亡一方ならず 万人
驚き且[嘆|かなし]ミ 更安心もなかりしに 光陰ハ蹉跎として
流川の如く早晩地震の気も薄らひ 次第に絶ぬる世の噂
七十五日も早過て 茲に月日も其年の霜降月と成にけり
扨十一月四日の[旭照|あさひてる] 巳の上刻の㕝なりけん 俄然と
して諸国大地震し 其烈なる㕝去る夏の地震よりも超勝
し 大地震動する事[漸|やく]半時小に揺大に動其音天に合せて
百千の迅雷の如く山川大海動揺して 飛鳥[空虚|おヽぞら]より落る
斗り也 かゝりけれハ人家倒れ或瓦落諸所壊 万人驚き
あわやと[周章|まどひ] 立騒 忽面色土の[像|ごと]く 彼方此方に奔走
し [倒|こけ]つ転つ[狼籍|うろたへ]て嗚呼亦もやと泣声も 哀哭悲慟同響
たり かくて午時前によう〳〵治り 皆々逃出し人々も
我(ママ)屋へ入に気味悪く [意|こヽろ]もさらに[諸居|おちい]ねバ 昼飯も敢て
咽を通ぜず 亦更[動|ゆら]んと恐怖し何を取にも手に[付|つか]ず [畾|あき]
[地|ち]浜手の廣地乃物の落来ぬ所を撰 莚疊に假屋根の仮に
[儲|しつら]ふ迯仕度 或ハ船や檐下や 廣き大道の直中を思慮
の善功方便 助給へと神佛 今ハ杖とも柱とも 願唱名
念佛の真実竒特ハ顕けり かくして其夜ハ誰か亦 我家
に寝るハ希にして 皆人野宿に一夜をバ夢も結バず[明|あかす]て
そ 憐至極の形勢なりけり[翌|あく]れば霜月五日なりぬれど
空の色さへ何となく常に変て[異|あやし]く思ふ 心の迷か[畏案|おそろしく]
じ煩ふ事々に 世上の物騒いわん方なし 日も夕陽によ
う〳〵と[未|ひつじ]の歩行程過て [申|さる]も半に入相の鐘には少し今
早き頃と[思|おぼ]しく也にけり 亦もや驚く大地震国々動か
ぬ所もなく 甚しきハ[言語|かたる]にも及ばぬ筆にハ難かるべし
万人[恟|ひっく]り仰天し 夫亦ぞやと恐れ♠ 今や世界ハ亡か
金輪際まで落かと 肝失魄天外に飛 気弱き婦幼老人ハ
眩戦々として腰立ず 一度ならずも再三誠恐誠惶の大地
震 人家数ヶ所崩けり 大に震動する事稍半時 夫より
後も時々刻々震ひ動ぎて止まざれハ 又此後ハ如何なら
ん変も発らん難知 一寸先は闇夜ぞと 我も〳〵と用
意の仕度 逃に[然|しかじ]と今ハ将 欲をも得も打忘 宵迠我家
に寝し人も 再三の地震に強気も[折|くじき] 鬼も釈子も犬猫も
膽を奪れ[奔|うろ]々〳〵と 虚気し者の[像|ごとく]にて追々火急に仮小
屋を 弥上へと[建烈|たてつらね] 世帯諸道具夜着蒲団又[看印|めじるし]の提
灯に恰も陣家の[形勢|ごとく]也 或地震其時ハ船に乘にそ [能|よか]め
れと 茶船小船に大川の廣き所へ出行あり されば[况|いわんや]
名にしあふ木津川安治川の片[辺|ほとり]に住ぬる人ハ是幸ひ皆
家業も船手の世渡り 諸国入船所持上荷と[思|おもひ]〳〵の手
筋に[應|したが]ひ 誰も彼もと連誘ひ 且ハ市中の知音より
態々是所に乘に来て かくして居れバ気楽やと 思ひ
[不思刹那|おもはぬいまのま]に 忽変有為転変 諸行無常の身の終も [不知|しらぬ]
我身の上のミハ只安楽にぞ思ひけり 嗚呼哀哉神ならぬ
凡虜の行や 凡地震時は陸地の上ハ山崩 人家倒尚も又
其甚烈に至てハ大地裂割火煙泥水吹涌出るといへり さ
れバ是時船ハ水刀に[浮|うかべ]し物なれハ動も水と共に動 敢崩
倒るゝの憂なく 又家なれハ動度に今も崩斗なる 其音
メキ〳〵ギク〳〵と恐なんどいわん方なし 船にハ尚さ
ら是とても 少しの音もあらざれハ 夏の地震に口々に
船にそ[能|よけれ]と云触言に[染|なづみ]て露の身の人の命惜けれバ
皆々船に聚て得不乘者ハ[羨|うらやみ]しに 良薬変じて毒となり
宿世の悪報か[不知|しらね]ども一時の天変洪波の為忽消水の泡
不便の死をそなしにけるハ 哀無果世中なれ 間(ママ)話休題
復[前説|これよりさき] 彼夕方の大地震より 日は沉ても今に未 時々
動止ざれバ 思ひ〳〵の逃用意 敢て門戸も〆る事なく
殊に寒冷甚氷斗りに冷渡り悩痛ぬ人もなし 折柄[異|あやし]や
先前より 海中頻に鳴動し 浪花市中の川々へ汐何度と
なく差込て其鳴音ハ次第に烈しく[諾|さも]恐しく聞ゆれど 可
有是とハ夢にだに不知仕度も船岡の 山にハあらで海の
中初夜と思しき頃及に[哄|どう]と動出す地震に否や俄然
として沖鳴動し 恰千万の雷神大海へ落しに似たり 其
響音遠く山谷迠も軣けり 是時[疾|はや]し忽に大海溢涌返り
一丈二丈の大洪波となり 国々浦辺の民屋ハ 為此皆悉
流亡けれ 浪花の海も大洪波 両川口木津川安治川へ[泝洄宛然|さかのぼりさながら]
山の崩るゝ[形|ごと]く 水勢[諭|たとへ]バ大瀧に似て滔々と鳴軣き逆
まき上り落来勢ひ 哀べし両川口に入津せし数百艘の泊
船 碇の縄も打切て木葉の風に散如く 且早事矢よりも
疾 大船小船の差別なく 押合毀付破亦覆或ハ大船ニ押
沉られ 辺の浜側懸造の家も土蔵も船先に附押破 檣に
当りて橋も川々に数多落火急の大変 瞬間の事なれば上
荷茶船の小船にて 宵より乘て居し人々 此物音に大に
驚き 夫 洪波ぞと喚声に[恟|ひっく]り仰天転動し 肝魄も飛失
て 疾陸岡に上らんと [周章騷|あわてさわぐ]其中に早頭上より大船
小船山なす水と諸共に 鳴動してぞ逆落しに落来洪波
に[覆或|くつがへり]は船の下に成 亦押破押潰されあつと一声蚊の啼
如く [哭|かなし]や恐や救やと 耳を貫泣呼 其声天に軣て 彼
罪人の地獄の責 ♠喚大♠喚もかくやと斗り 声と諸共
忽ちに船覆溺死す 是須由の㕝なるべし市中川側浜々乃
仮小家 野宿の諸人ハ 此音声の恐しきに 膽を潰し恟
りし 洪波に今もや町々の家も一度に流れんと 震ひわ
なゝき号泣 老若男女七顚八倒 上町さして奔走す 夫
より[最|いと]も哀さハ一入増る川中に 船に泣入人々ハ 洪波
に未死もやらで 船木の[破|やれ]に取すがり溺浮つゝ[譶|かまびす]く助救
と唱♠ 生止の境九死一生 其声苦ミかれ(ママ)痛 今世の声
とハ思ハれず悲憐骨も身も碎て徹斗にて 彼救度思にも
豈何をせん闇夜の [黒白|あやめ]も分らぬ川中に 何所に在やら
秋の野に [聚|すだく]啼なる虫ならで声のミ憐に聞けり 夫は
九人の後一人 其余人ハ周章狼狽 思愛深き親子さへ
互に忘顧ず 打捨迯行大急凶変 又頭上より大洪波に
浪速の街ハ一流ぞと 狂言綺語に非ねども凡慮[争|いかで]か是
を定めん 危邦にハ在べからず 皆上町へ逃去て 他を
助るの気も附ず 尚々海中鳴動し 再高浪♠々と 先に
[異|かわ]らぬ大洪波 両川口へ逆上り 溢漲其音と万船破附潰
押沉られ覆[鳴|あつ]と泣♠大喝一声 するかと思へば忽に 今
迠死せず溺浮 残の船に居し人も 是時[無敢|あへなく]なりにけり
後ハ洪波の引行て又も逆浪鳴動し[溢|あふれ]来る㕝一刻の
間に都六七度なり 其度毎に船与船 互に闘戦なすのミ
にて 人の泣声喚声 再度の後ハあらざりける 是物音
に天地軣 山川是に動揺して遠く大和路迠も聞へしとハ
恐なんど譬方なし 道頓堀川の大黒橋迠 千石積の大船
数艘入来り 小船ハ微塵に砕て溺死の[軀|むくろ]浮流(ママ) 哀無常
の形勢に 先だつ者は泪にて 眼も当られぬ㕝どもハ
前代未聞といゝつべし 扨又㕝も[鎮|しづまり]て 何を為にも闇夜
の 先ハ[翌|あす]をと明をバ待ど暮せど長夜の 未人定の夜も
深く 寒冷膚を凍るゝ斗り いとど侘しき[終夜|よもすがら] 亦も
や有と薄氷 歩行[心意|こヽち]して[怖畏|おののき]つ [戦|わな]々身体動気禁ぜす
一夜も千夜の想しつ 地震ハやはり今に未 大小となく
時々動震続によう〳〵と東雲近く鳥の音と 白々[見得留|みえる]
人顔に 万人蘇生せし如く やれ〳〵嬉し悦しと [累息|といき]
を附て居たりける 面色蒼醒土の如く 胸先動気[静不止|しづまら]
ねバ 三[時|たび]の齋も敢て不進 度々震ひ暫時も地震間ハあ
らざれバ 家業工商ハ打捨つ 我身々々の世渡に竿差人
も絶て無 日頃年来住[染|なれ]て[久恋|こひしき]園の我家さへ 只何とな
く空恐しく 今や誠に三界無安 猶如火宅の佛説 想ひ
相する斗なり 其夜の洪波に浪速街巷ハ 安治川口の泊
船ハ皆々船津橋まで逆登 木津川口ハ道頓堀大黒橋辺迠
大船小船の分なく 強ハ弱を痛て微塵に[催|くだけ] 跡形もあら
ぬ船をも多なりけれ 川中に破船推逼 溺[尸|し]を探求あり
殊に木津川口ハ死傷多く 一家不残死せしを初 親に離
子を失ひ 或船頭加子梶取と 其行方の不知も多 求食
て得しも不得人も 何れ涙の先達て 悲歎愁傷巷に満
哀至極の形勢ハ[悼|いたまし]なんど愚にて 身毛[堅|よだつ]計なり 偖も
今度の地震洪波に依 諸国の破壊人民の死傷 枚挙する
に遑あらず 只大略を名状せん 何も大同小異あらん
そハ予とても委に不知 只々視観察の三見を出ず 看宦
推て知給へ [然|もっとも]古今未曾有の大変珎㕝ならんといへり
且話摂州大坂表市中の損亡のあらましにハ
○洪波に付川々に落橋の分
安治川にてハ安治川橋 江ノ子嶋に亀井橋 長堀には高
橋 堀江川において水分橋 道頓堀にハ殊に多 先川下
より 日吉橋 汐見橋世にから金ばし共云幸橋 住吉橋 以上なり
又西横堀下ノ口にて金屋橋落といふにハあらず大破真中にて切斗等橋[員|かず]九あり
其頃噂に古川にて国津ばし 堀江に鉄橋なぞも落橋と記する書物市中にあり是必非なり 浪速に住バ是等ハ目前に慥に見ル
亦同洪波に付木津川口にて破船の分
○千石積以上の大舩 二百余艘 千石より以下凡四百艘
余あり右の内五百艘余ハ大方ハ道頓堀大黒橋まで逆上ス 然大船の事なれバ難船ハ希也○茶船凡八十四艘
○いさば船五十艘斗り○上荷船の難破船ハ 勘助嶋三組
合 九十艘に至其内六十艘程ハ大に潰或行方不知□□ ○西浜に於て十六艘○
愽労に丗四艘 此余寺嶋前内裏嶋 四良兵衛町杯にも破
船数多あり 木津川の上荷船惣数合六百七十四艘あり
また溺死の者四百壱人なり此余他国より入込し者或船頭加子等ハいまだ其人数相不分明 こゝに出スハ
名前ある人々なり
同安治川口に於破船の分
○千石以上六十艘 千石以下九十五艘○いさば船丗艘○
上荷舩凡四十艘程なり 此余にも茶船釼先船過書船等の
船々も みぢんに摧或半割となりしハ両川口にて○凡六
百余艘ありといへり 且安治川口に於て溺死せし者凡七
十弐人あり 扨又かゝる大変に及程の大洪波なれバ 高
水人家も[漫|ひたす]らんと思へども 敢左に非水の高さ 未大道
の岡迠不至 尻無天保山辺の海際ハ少々溢越新田へ泥
水流入しとなり 然ど水勢猛烈にして恰箭火砲の如く火
急なる事言語に絶たり
津浪に付種々奇異の風説
偖も今時洪波により 川々に溺死せし諸人追々毎日□
[軀|むくろ]浮顕 或日数歴てよりあがりしも多あり こゝに此
死人等皆々面色生が[像|ごと]く 惣体少しも変ぜす 溺死とハ
更不見と衆評區々なり 或人の曰是ハ由あり そは何
と問に思も得ざる洪波の急変 船に乘人々ハあわやと驚
周章騒気を取失ひ心も散乱し 夫より早く大船小船矢の
飛如く捲立〳〵逆登落津浪の為に 遂に船々押沉たるさ
れバ元より死せしも過半 呑水隙も非ざりけり 殊さら
寒冷甚く 五體氷て日[歴|ふれ]ど腐事さへ無といへり 復語洪
波の時両川口へ大水働々と逆上ぬれバ 万人東方へ奔走
し 誰歟浪向ひ西方へ行者あらんや 尓時こゝに是大変
の中ニ大男三輩大手廣げ北安治川をバ西へ走人あり
然此安治川の下に崎あり通称川戸口本称わくが鼻といへりといふ 此
出鼻に住吉明神の祠あり 此三人の男是神殿へ馳入しと
なり こは其辺に居合す船人慥と見留事とぞ 且亦翌日
市民等[宵夜|ゆうべ]の大変にも何の障もなく家内無恙れバ 其幸
を悦是全く神佛の加護ならめと歓喜心頭に徹し 報思謝
徳の為にと思ひ或人住吉へ詣られしに四社明神の御扉の
金物大に損じ開し儘なり 尚神馬の毛に海藻被付 蹄大
ニ泥ニ[塗湿|まみれぬれ]て有という [諾|さも]あらんかし 予等如の言の葉
に申もいとヾ[惶|かしこ]けれど 諸国今時の大変に 取分大坂市
中川口に かゝる大洪波に損亡も 其波岡へさらに溢越
ずして勢さへも六七度となり民家の無㕝に㕝治しハ豈疑
ざらんや 是ハ全大明神出現まし〳〵て生民を救賜て神
力應護の難有 霊験すてに顕然たり 復淡州より浪花へ
渡海なす魚船一艘天保山沖に泊居し所 海中俄に鳴動し
水上に火燃出て 忽ち潮山の如 大浪となりぬれバ 怖
れ驚てハ如何にと 乘居船人色を変じ あら恐しや叶ハ
じと 一生懸命の所なれバ 南無や金毘羅大権現と 一
心不乱に祈念なせバ 不思儀や此魚船波に先達 余の
船々より馳出 刹那の内に雑喉場迠入来り危急の難を迯
けり 或ハ洪波の折船に居老人ありしに 誰とも不知
首筋引♠て陸に上不思儀に危命を[助|たすけし]人あり またこゝ
に今時木津川勘助嶋辺に 大なる妖怪川中に顕しと専ら
街説あり 是[鯁人|うミぼうず]或山の如き[鱘|ふか]杯といへり 然ど洪波
の大混雑 万人肝を失ひ[膽|たましい]を飛せて中なれバ 豈誰か能
も見届し者あらんや 津浪[襲|おそわれ]親子さへ 顧遑無程の危
急なれバ逆上る船抔を見て左ハ思ひしなるべし まして
況今夜[黒白|あやめ]も不分ぬ黒闇なれバ[大槩妄説|よきかげんのうそ]ならん かゝる
時なれバ程々の妄説甚多し 悉く記するも最[拙|ったなき]業なり
其話[差置|さておき]翌六日にもなりしかバ万人再 [蘇|よみがえりし] 如く互に無
異を悦あり 或死傷に哀あり 偖夫より先疾御町奉行且
御船奉行御出馬ありて両川口の[宵辺|ゆふべ]の洪波により 難船
溺死を見分の上 其騒動の跡を夫々取[片就|かたづけ]の事を夫役に
仰付給ひ 非常を[戒|いましめ]給ふ事日々なり かゝるなれバ夫
役等数多用船に乘□へ 日毎に逆登し船々を取拂 引下
シ熊手を以[川底|かわそこ]に沉し死骸或衣類調度諸品の船に積ぬる
諸荷物を [求食|あさり]引上夫々に其者供へ返終(カ)り 又ハ何国の
何所やらん歟 尋訪ふ人さへも不有[溺尸|しがい]ハ御下知に 千
日寺へ送り遣 荼毘の煙と成人の[宵|ゆうべ]ハ愚 朝より絶間さ
へ無者から 是も[過分|おヽけ]なき御上様の御定被下給ひ 水死
人の煙代一人に價ハ四百文なり 貧者も誰もかも 其高
澤の仁政乃至らぬ隅も非とて悦びあへる夫よりも 諸国
の入船有者等へ 御救として米銭を被下 或ハ当大阪両
川口[持所|しょじ]上荷船の者共へ是又壱船に金壱両思賜に預り
尚々曰く 多人数太鼓を[扣|たヽき]浅瀬に上る大船を ヱイ
〳〵声にて引下し 皆々元の形なる事ハ[何日|いつか]と思ひしに
[解|とく]より外に仕方も無千石以上の巨船さへ 船手功者の方
便にて 一月程の其内に皆悉く引下けれ されハ明正月
にハ假橋さへも疾かゝり 相も不変世渡に 民の家業
安々と 安き安政の長閑なる春も[目芽度|めでたく]なりぬるハ 誠
成哉仁政の[無越|こよなき]御代ぞ難有し 是より先に洪波の後 溺
死の人之普(ママ)[提|ぼたい]の為 両川口や或又諸寺諸院にて志 無縁
有縁の差別なく追善功徳の施♠鬼 其頃専ら流行せり
且又或者前内裏嶋の上に渡船の乗場あり 是所に未代迠
も心得の為大地震大津浪の記を和文に表し 其[形勢|ありさま]さへ
碑に涙の種を残りけれ [還前|これよりさき]條再説霜月四日 翌五日
の大地震により 浪華の市街の民家より 神社佛閣諸所
方々と 崩損ずる事少からす 枚挙なすに事繁く 其微
細なるに[不至|いたらぬ]と 只大略を[表|あらわ]さん 偖先寺社の破損にハ
○清水寺の舞臺落ル○玉造いなり社無臺大破○願教寺堀御坊対面所崩ル○津村御堂○灘波御堂の諸々境内大破○北野不動寺本堂菱となる○五百羅漢
諸々大損スル○福しま光智院玄関崩○安治川順正寺本堂崩ル○四天王寺太鼓堂亀井ノ水手家形崩ル其外所々○下寺町浄国寺の本堂崩○木津安如寺鐘
楼堂并ニなんば鉄眼同断崩○白髪町観音堂香炉家形○浄国寺○当麻寺○源正寺等門大そんじ○本町狐小路浄久寺の高塀倒ル其余寺院の本堂諸所大そ
んじ○天満天神宮井戸家形崩○天満寺丁金毘羅の絵馬堂崩るゝ○福しま上ノ天神の裏鳥居○中ノ天神拝殿井戸家形○下ノ天神絵馬堂○高松蔵家しき
金毘羅社井家形絵馬堂○天神御旅所鳥居倒ル○御♠宮井屋形○座广宮の石の鳥居ゑま堂崩○長町毘沙門堂鳥居○住吉石燈籠多ク倒れる其余略ス
また市民民屋の崩レにハ○志ほ町さのやばし北東側の高塀崩て横死二人あり○長堀御堂すじ裏家六軒○順
慶町丼池巽角二軒○北久太郎町丼池北入西側二軒○淡路町土蔵一ヶ崩るゝ○京町堀羽子板ばし北づめ西角五六軒崩て火事となる○常安ばし南詰西角
三軒崩ル○江戸堀大タ橋北詰にて一軒○かごや丁両国ばし西南角十五軒○きの国ばし南西少々あり○汐津ばし北詰東五軒同南詰にて土蔵崩なし○永
代浜大土蔵くづれる○阿波ざならやばし□町角同小間物棚の戸や丁六七けん同藪横町六軒帯屋丁北がハ土蔵大そんじ同中ばし筋戸や町両角大くづれ
也其外あわざ辺にてハ別して崩家大破いと多し○願教寺裏門所々崩家あり○西口井戸の辻四五けん○北堀江六丁目十軒余同四丁目にて五六軒あり○
幸町東通より南へ三軒○のば〳〵蠟納屋崩てろう多く黒土となる凡十弐三軒有○高津しんち所々崩家ひしにゆがみし家等かぞへがたし○堂じまさく
らばし南づめ西へ四五軒崩るゝそね嵜しんち方々所々古家大ニそんじる偖其余ハ大坂より四方の諸
所在々にも 破損の家ハ数多あれど悉く記も無益に[看官|ミるひと]
の[飽|あく]心意なるべきを厭のミ 且て金城の樓多門等白壁夥
しく破落 城中土蔵崩 別して大手前の石垣亦候 五六
十間程壊其外大に破損す 凡市中に無㕝なる家は稀にし
て 崩を始菱とゆがみ 住居も成難家々多て [然|もっとも]神社
寺院より町々も石燈籠ハ過半倒なく 其内破損等も上町
天満橋の内にハ崩家も非と聞ゆ 是便地震勢も東堀より
東にてハ気薄 西方ハ甚しき故と覚へたり 其崩家も大
方古屋或建木の悪によるべし 且説翌六日の朝とぞ成に
けり 誠哉今ハ昨日まで有し世界と㕝変 眼に見る耳に
聞所 何か恐怖斗[宵辺|ようべ]の哭声身に染て さらに[容|かたち]も愁然
と 気疎如に皆成て 天地にかこち身を[怨|うらみ] 傷ぬ人もな
かりけり 地震ハ尚も鎮ず 時なく[動|ゆらぎ]止ざれハ気も
[落居|おちつか]ざる驚懼の面色 地震津浪に魄奪ハれ 風に艸木の
音よりも猫や鼡の我家を走る音さへ地震かと 驚起て迯
なるべし かゝれハ野宿仮小家に浮寝の床に假枕 互に
非番当番にあらねど [換|かわ]る起[半|ばん]まに長終夜 冷厳しく[糅|かてヽ]
[増|くわへ]て地震さへ 夜程震繁けれバ 思ひ〳〵の[身用意|みがまへ]も帯
紐解す草鞋に脚絆刀に腰兵粮 命有ての我世ぞと逃に[然|しか]
ずと毎夜〳〵も 鳥の声の[辛々|から〳〵]と聞其時の嬉しさハ地
獄に[相|あ]ふた佛のごとく 光明扁照の御照ハ親を得(カ)たるゝ
力なり 只夕陽の頃よりハ死囚牢にも入如くなり 因是
今ぞしる 慾に[量|かぎり]も常々に 枕を高く腹鼓打て前後も得
ぞ不知 思ひの儘に寝ぎたなく 晨の鐘と鳥の音に驚か
されて[覚眼|めをさまし] 早夜の[明|あけ]か短さと[♠|つぶやく]㕝の今更に羨さに心
にハ無冥加言いふたれと 悔思ふる斗なり かくて夫よ
り地震さへ日々薄気も絶々 少々心も心にて 霜月望の
頃よりして 万人我屋に寝なるべし 然と地震ハ昼夜と
も 未動ハ止ざりけり 休題案下再生説 今十一月四日
の地震より同く五日の大洪波に 国々動がぬ所も無 混
乱何か異㕝なけん 然いへども諸国に時々の違無にしも
非ず 其騒動さへ大同小異あり 是其震動の大与小の差
別有故なるべし されバ形勢をも前條大坂の段にいと[悉|くわし]
けれバ 次編ハ唯国所のミ名状せん 夫をしも一々事物
語の表さヾらんを如何思る他も有べきが こハ同事のミ
重れバ片腹痛[嗚呼|お こ]の業にしも近く 看官阿波に吹風ハ
讃岐にも吹といふ世の諺になぞらへて 推て察し給ふ事
を願者ならんかし
五畿七道大地震洪波省略風譚
山城国
○京都近辺十一月四日五日とも 大坂に同じ地震なり
然と民家にハ無異にして 神社佛客(ママ)少々損ずる 南方木
津辺家少々崩 震いと甚し
大和国
○奈良清水通辺家土蔵とも倒 天貝丁にて五六軒 樽井
町に二三軒 五日八ツ半時まで数多ゆる 春日社鳥居倒
なし ○郡山を始其余所々大地震なり
河内国
○在々村々崩家まゝあり 地震大坂と同といへり
和泉国
○四日朝五ツ時より大地震所々崩損じ 翌日申の刻亦
復大に動 其夜大洪波等都前條に異事なし 新地茶屋町
北嶋米市場 所々家流亡し 死人凡十人余あり怪我をす
る者多し 洪波に落し橋々にハ吾妻橋 栄橋 龍神ばし
住吉橋 勇橋等なり
摂津国
○十一月四日五日の大地震大洪波 浪華の市街は[遂|すで]に前
條に[最|いと]詳なれバ 是より未不記の所にハ尼ケ嵜同時地震
町家四十余戸崩るゝ 其外[都|そう]じて北西の在郷城下船巷等
何も同事(ママ)の大地震 海辺ハ洪水ありといへり 烈騷動異
なるべからず
東海道筋にハ伊賀国
○同月同時大地震家少々崩損 別て是辺の国々ハ去夏の
地震より今に日々震止ずとなん
伊勢国
○大地震晨甚烈にして 白子 神戸 山田辺にハ地震に
家崩其上洪水にて流亡し溺死等多あり 同国四日市同大
地震し人家凡五十軒余倒れ 翌五日暮方より再び大に震
ひ大地裂割土蔵八十ヶ所崩 家数凡百四五十軒 死人凡
百七十人斗怪我人多々あり 近在近郷十二ヶ村過半崩死
傷又多あり 夏冬再三の大変に万民一方ならず難渋せり
桑名大地震の後大海溢逆浪洪水に 海辺の民屋流近辺大
に荒損 殊に六日の地震烈して騒動混乱いわん方なし
志摩国
○四日朝大地震所々崩 五日申時再大に地震し 驚周章
其中へ大洪波天に溢 御家中方六分通流 市中大半地震
に崩亦流よう〳〵残りけるハ大に破壊せり 死傷今時
[未考|わからず]總じて[嶋国|しまのくに]の大荒ハ絶言語最大一と云々
分て曰是よりハ東海道筋 五十三次の驛路にて大地
震大洪波出火の騒動を[題|あらわし]ぬ 何も同じ時也
○宮当所八分家くずれ熱田社大にそんじ ○鳴見七分斗りくづれる
○池鯉鮒大ぢしん大つなミ町屋崩死人百○岡崎八分通り崩るゝ矢矧橋少々そんじ
○藤川町家七分程崩ル ○赤坂 のこらずくづるゝ
○御油当地四分崩○吉田家敷町家とも過半崩るる
○二夕川半崩なり ○白須賀八分斗り崩家あり
○荒井関所民家四分崩残洪浪に流るゝ○舞坂あら井に同じ
○浜松六分くづれ○見附大ぢしんニ付六百軒崩けが人おうし
○袋井大地震に崩て残家惣焼失○掛川袋井におなじ
○日坂地震甚しといへ共民家無事也○金谷大ぢしん七分崩残屋皆々やける
○嶋田半崩大井川そんじル○藤枝上ノ方六分出火により焼亡ス
○岡部大地震皆悉崩ル ○鞠子八分崩るゝ
○府中江川丁より出火四分斗焼失ス○江尻大ぢしん洪波其上火事となり四分焼失ス
○沖津江尻に同じ ○油井人家ハ無異
○岩渕六分程崩て残り焼失ス○神原問屋より東方火残る家崩なく
○吉原大ぢしん出火人家丸焼
其外冨士山中所々大に壊そんじ 又殊に不思儀なるハ彼
地震より不二川の水何所とも無行方を不知 急流枯絶て
往来歩行にて通路せり 誠に希代の珎㕝哉と諸人驚且
[異|あやし]恐怖斗なり 夫凡東海道筋ハ京より始といへども
是に記宿々ハ則尾張・三河・遠江・駿河・甲斐・伊豆・
相模等の国々に[蟠|わだかま]れり然バ是国は何も地震甚しく人家の
損亡ありと知べし 亦説伊豆の下田にハ同月同時大地震
し 翌日申の大地震も甚敷 且大洪波によりて陣家一家
中市中とも 不残流尽果て万人行衛不知けり 尚大嶋も
同様にして当国の変余に[超|こえ]たり 人家流亡 諸人の死傷
算難と専ら風説あり
武蔵国
○江戸霜月同日の朝より大地震し 所々方々御屋舗等大
に破損し 翌五日夜四ツ時より 猿若町辺より失火し
一丁目ゟ三丁目迠芝居皆々焼失し 夫より火勢弥々烈し
く聖天町・山ノ宿丁皆焼 花川戸半町 西迠小天道り迠
焼抜 東ハ大川端それより向嶋へ飛火し小梅村水戸侯の
御下舘飛火にて不残焼失 同近所所々へ焼廣り家数おゝ
よそ二千余軒 怪我人亦多くあり 地震の中にかゝる大
火有て騒動混雑推て知べし右の余安房・上総・下総・
常陸等の国々何か地震無所あらんや 洪波等に流死傷あ
りといへども其[委|くわしき]を不知 只風聞のミ
東山道筋にハ近江国
○是国京都に地震同じ 夫より次第の国々美濃・飛驒・信濃・上野・下野・
陸奥・出羽等なり東に至る程地震ハ薄く 評判も薄
北陸道筋にハ
○若狭・越前・加賀・能登・越中等の国々地震の上 海
中洪波の気少しあり 越後も地震甚分て佐渡国ハ大に地
震し 亦大洪波ありて流んとも行方をしらぬ者多あり
山陰道筋国々
○丹波国園部四日五日より大地震 家々二百軒斗り崩損
じ死傷多し 亀山同地震凡家百軒程崩あり 是より次第
の順國にハ丹後・但馬・因幡・伯耆・出雲・石見・隠岐等也少々地震ハ無にしもあ
らねど 今時風説を不聞
山陽道筋国々
○播磨国大坂に同じ大地震 姫路御城下少々崩るゝ [然|きっと]
死傷も有といへり 加東郡粟野辺是又大に損亡あり 次
第の国々美作・備前・備中・備後・安芸・周防・長門等なり何も城下郡内邑村にいた
る迠大坂に同じき大地震と云へり 洪波ハ噂さへなし
当国西国筋には霜月七日殊に大地震なり
南海道筋国々
紀伊国
○湯浅十一月四日同時朝五つ時と云の大地震 人家所々崩 翌
五日夕方亦々大に震 大海俄然と大洪波となり浜辺海[漂|ぎわ]
に溢漫し 北町・新屋敷・浜町・中町・大小路等皆悉浪
に人屋流亡し 其余川原辺不残流死亡凡三百人にいたり
♠を蒙むる者夥しくといへり
○廣浦同じ大地震に附 千軒の所凡四分斗崩れ 五日の
大洪波に残りし家 流行跡に只二三軒残る 死傷凡四百
人程怪我人多し
○田辺同時大地震大津浪により御城下三分通崩 後の
家々ハ焼失皆々なり 死人凡三百五十余人あり
其外々にも有田・加茂・大崎・藤代・名高・日方・黒江・
加田・熊野・日高等も同じ大地震甚しく 洪波にて人家
大に流 分て藤代より黒江まで人家と一流に流尽絶て
田村郷地一面の廣々たる野原となり死傷少なからず
○若山大に地震津浪にて 所々市中崩損じ或ハ流るゝあ
りて死亡無にしも非ず 此外[逢名|なにしあふ]木の国九十九浦とも
世に称ずる南海際限の国なれバ 浦々何も大洪水して人
家の滅亡 諸船の破損聞も哀に恐しく 爰に紀伊国田辺
の者の後説に 今四日の大地震より海潮遥の沖迠引退
常に異て見へける故諸民異恐怖して 如何成事歟と驚
[訝|いぶかり]バ或事を学得者 是ハ大変の兆ならん 何様洪波等
も有ぬべしと 聞に皆々驚周章高き所こそ[能|よろし]からんと家
財雑具を持出し[辺|あたり]の山中へ迯隠野宿に一夜を明けり 然
と是ぞと思べき指為事さへあらざれは無由言を云者哉と
下愚の風俗に口々に密笑ひ誹謗など 屢発る大地震申の
下刻と思しき頃 亦々再び震と否や 俄大海鳴動し天に
溢るゝ大洪波恰も坤軸を摧斗り [瞬|またヽく]中に人家を[漫|ひた]し皆
悉流けり 誠先きに発明せし彼人申や非ざりせバ [爭|いかで]か
死地を出る事を得べけんや 実に再生の思人なり 其後
外の国々の洪水の風譚を聞合に 何れも大海の潮常に異
て汐時の満干さへ乱てとかや
淡路国
○同大地震然し人家の損亡を不聞 津浪さへさして害に
成ほどの事ハなし 木国 [吾恥|あわじ]と隣国なれど 変妖の甲
乙如是 幸不幸推て知べし
阿波国
○霜月四日朝震の兆少々ありて 翌五日申時にハ大地震
なり 依是徳嶋魚市場辺より出火し 新魚屋町・新丁二
丁目三丁目迠 通り町一丁目より三丁目迠 八百屋町・
中町・紀伊国丁・紙屋丁三丁目迠 塀裏不残窂ケ浜小路
迠 稲田・加嶋・手嶋様等の御屋敷 同刻西助任町 八
幡社内より春日社まで 本冨田四五十軒斗づゝ所々焼亡
し 橋筋少々残らす火 亦同日同刻
○小松島大に地震し 亦出火により八分斗り焼滅す○橘
○牟岐○由き○規矩の間凡十三里程 洪水の為に 人家
不残流亡せり 北ノ方イノシリ 脇町辺過半家崩 撫
養・岡崎皆々崩 浜御殿焼亡 林﨑六分崩 徳長より鯛
の浜迠凡二里斗間 大地裂割人家の中にも洞穴の如き大
なる穴開て 大難牛馬落入死すといへり ○鈴柄の渡シ
其夜船頭乘人とも洪水に行方をしらず 亦田畑街道の別
なく泥水を地中ゟ吹上 海水一圓の泥に変じ 四日より
七日迠凡七十ヶ度の地震也 神社佛場悉く破壊す
○其外次順国 讃岐も地震動 伊豫国も同大に地震津波
ありて人家の損亡ありといへり
土佐国
〇十一月同時大地震 同翌五日申時大地震同夜洪波して
かんノ浦九分通り流 片原町 港町 白浜丁大に家流
いくて坂崩 いくみ村崩 野根浦九分通り流 藤越番所
崩 飛石 [躍石|はねいし] ゴロ〳〵石大半流るゝ 入木村 八幡
崩 尾崎村 上御津村 皆々少々崩そんじ 此余御城下
高知火災 在郷浦々大に荒死傷多あり
西海道筋次国
○先当街道の筑前 筑后 豊前等地震無にしもあらず
今時世上に風聞の無ハ 全く事の薄故のミ
豊後国
○[霍|つる]崎大地震人家六分斗崩 死傷凡百五十人程○府内人
家四百家余崩 死亡凡百人あり○別府人家凡弐百軒崩
死人六十人余されば怪我人ハ多し 此余肥前・肥後等
皆々大に地震せしと街説あり 日向・大隅・薩摩より二
島に至る迠 更に地震せざらん国ハ無といへども 委(ママ)細
沙汰を不知 然れバ凡南膽部州 大日本五畿七道何か地
震無国も非ず 其烈に至てハ一時に坤軸も摧斗り言語に
絶して拙筆にハ中々に渋て記事不能尚畿内東海南海道の
諸国ハ 地震洪波に損亡さへ [無算|かざりなき]程甚しく 誠に前
代未曾有の珎㕝にして 後代亦有間敷事どもなり
附て曰其後地震ハ尚も時々動 翌卯年とハ年さへ
替ども 三ケ日にも地震して 夫より段々日々に
光陰を經ぬる程 よう〳〵地震の気も遠ざかり
四月五月の頃までも其気ハ今に[禁|とヾま]らさるべし 此
是次の話なるべき
再生説同十一月七日嘉永七申寅年の十一月としるべしの夜 大に風雨起り
荒て雹霰夥しく降繁 其音小石の降に似たり 翌日雨晴
天地明渡りしに 不思儀や市中に多く 色黒小豆方々に
落あり [宵辺|ゆうべ]の雨に天より降しを見へ 諸人是を拾得て
竒異の思をなりし風聞町々に専らなり 然ど正法に竒特
無とハ[然|むべ]成哉 此豆天より[降品|ふりしもの]にあらず 是彼風雨に
槐木の実飛散しなりといへり
同月十七日黄昏より大に風烈くて吹発り並木人家も倒
るゝ計なり 因是津の国沖にも難船破船数多有 此后
時々大風吹起事甚多し
同月廿七日年號改元ありて
安政元年とそ成るなり こハ是御所回録に及びし故とぞ
題外附録
是亦今年甲寅十二月廿九日の夜亥時より江戸表大に火災
にかゝり 大晦日の夕方に火鎮れり 町数凡八十余町焼
失に及ぶ
かくて[翌|あくれ]バ安政二年卯の春を迎けり 正月元旦より余
寒甚敷 北国大に雪降積り 其丈弐三丈におよび人家倒
れ死傷あり 東国西国等も大に雪積れりとかや
是より先京都にハ御所御造営を急せ給ひ 正月三日迠休
四日より休日さらに無 奉行厳しく番匠の精工を[励|はげむ]なり
けり
扨も次第に残煙尽 目出度御代の時来り [湖江|よのなか]上人気遂
に和らぎ七日八日の頃よりして暖和を催 春霞空に[靉靆|たなびく]
[少|わか]惠比須 御公儀様より御免を蒙 九月十日の大紋日今
宮戎にホイ駕とて 廓市中の遊所より 綾羅錦繡を[錺|かざり]
立 傾城遊女参詣して 賑しき事いわん方なく 梅花も
大に時に進 十五六日頃より早梅ハ散方になり [摩耶|まや]紅
梅をも次第に開花に及べり 廿五日ハ新町より 天満天
神へ参詣の願 御聞届の上各々今日を[曠|はれ]と花実を[荘嚴|かざ]り
数十挺の駕にて揃[練行|ねりゆく]めり 是を見んと老若恰も山の如
し 皆寛仁大度の御計なりと悦び合て 弥々賑ハし
竒談雑談嘉永聞観下編大尾
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ上
ページ 1031
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 大阪
市区町村 大阪【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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