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項目 内容
ID J3000869
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔只見町史第四巻資料編1 原始・古代・中世・近世〕福島県只見町史編さん委員会編H11・11・30 只見町発行
本文
[未校訂]500 嘉永七年(一八五四)(安政元年)東海大地震の事
一嘉永七寅年十一月四日四ツ時、東海道三嶋宿ゟ原・吉
原、夫ゟ府中迄大地震ニ而、大変成痛故、諸人通行不相
成、漸々十一月廿六日頃ゟ通行ニ相成申候、其時紀州
浦々島々宿、津浪ニ而大キ成痛ニ相成候由御座候、尤つ
なみの音ニ候哉、其時南ニ当り、雷神の音ニ相聞候なり
ニ御座候、其節の津なみニ、沼津の海浦ニ而、ヲロシヤ船
破船致候間、沼津宿へヲロシヤ人大勢上り、御公儀様
ゟ船はき立被成下候而、御返シニ相成候、其節当組黒
谷・楢戸之者伊勢参宮ニ罷登り、ヲロシヤ人見申候由
   〔「文政以来万覚書」熊倉 目黒正家文書 一一三〕
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ上
ページ 602
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 福島
市区町村 只見【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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