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項目 内容
ID J3000696
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信濃・越後〕
書名 〔赤羽根の古文書近世史料編〕○愛知県渥美郡赤羽根町史編さん委員会愛知県田原市教育委員会編H17・3・31 愛知県田原市教育委員会発行
本文
[未校訂]381 「天地之間珍事変事書留万物用心記」
一弘化四丁未年三月廿四日信州大地震、当年三月善光寺
開帳最中、稲荷山宿ゟ丹波島善光寺大地震ニ而、町家転、
夫ゟ出火と相成諸国ゟ開帳参詣人多人数死ス、丹ば川
之上ミニ而山崩レ川留り十日余ノ間水不通、近村ゟ人夫出
右山崩レ候山元之如ク切割ニ取掛り候処自然水ニ而押切
レ、川筋村々低所者民家不残流レ人多ク死ス、誠ニ哀れ成
事共也
右之時節ノ地震信(ママ)農国過半大地震之由別而善光寺近辺
大キ成よし、夫レニ跡出火ニ相成候得者大変之事ニ候、乍

善光寺御本堂者別条無之候
此時之地震当所ニ而者寝て居ル人もあり又者起て居ル人も
あり、別段騒キ候様な事ハ無之左候得者破損等者一切無
御座候、刻限者夜四ツ時前ノ地しんナリ、是が大地震ノ下
拙共が聞始也、嘉永五子二月拙者越戸村忠兵衛両人連
レニ而 善光寺参詣、夫ゟ 日光参詣 江戸表見物仕、
信州大地しん出火ニ而焼失潰れ候家跡見申候
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ上
ページ 485
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 愛知
市区町村 赤羽根【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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