[未校訂]・ [増田|ましだ]村の名主庄右衛門は宝暦六年(一七五六)十四歳
のとき中畑村土屋家より増田村の林家へ養子に来た。こ
のとき実家では大豆を作っていた畑三反歩を婿入先へ持
参させている。これは庄右衛門の没後土屋家へ返却され、
いまは増田畑と呼ばれる田になっているという。さて、
翌年には長女ひなが出生し、明和三年(一七六六)養父
の死去により二十四歳で名主役を継いだ。かれは当時の
様子を「旧記録」(増田・林皓一郎家文書)として残した。
(天明二年)寅ノ七月十四日・十五日両夜大地震ゆり、それより
二十四、五日の間少々ずつゆり申し候、須走、坂下
辺別して大破損、……右大地震には候へども、御厨
中人の損じはこれなく候、かつまた小田原御城内大
破になる。
この地震により、さきに修繕してまだまもない善龍寺
の前の「大川橋」と「中之橋」も被害をうけたのだろう。
八月十一日に架け替えが行われた。