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項目 内容
ID J3000217
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔元興寺編年史料下巻〕○奈良市岩城隆利編S41・3・30 吉川弘文館発行
本文
[未校訂]宝永四年十月四日
大地震のため觀音堂が傾斜し、十六日に本尊を東大寺
法華堂に移した。
(大和國寺社名所記録中)上之坊記録抜書
宝永四年十月四日、大地震、石灯呂倒ル、春日石灯呂殘
□倒ル、興福寺金堂西ノクワイロウ不殘倒、六十間有之
由、塔ノ水煙落ル、西金堂大分ユカム、諸加藍(マヽ)壁落ル、
町〻家倒ル所もアリ、(中略)右大地震ニて元興寺觀音堂傾
候故、觀音ヲ十六日東大寺法花堂ヘ移ス、日用(傭)四十四人〆
モリ奉ル、
(西大寺日記六)宝永四年(略)
(南都年代記)宝永四年(略)
(奈良坊目拙解二)芝新屋町
宝永四年丁亥十月四日、大地震、觀音堂大破、於此奉出本
尊、假移安於東大寺法華堂内矣、尓爰持寳院眞英大德發
弘願、勸進諸人而、享保十四己酉年八月廿七日本尊再入
佛、同九月十八日午尅開眼供養、導師心光院、
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ上
ページ 102
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 奈良
市区町村 奈良【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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